イラク:「ローザンヌ条約失効」神話は本当か?(4)

2022年06月19日付 al-Quds al-Arabi 紙

■イラクとローザンヌ条約失効の神話

【トルコ:本紙】

そしてオスマン帝国のスルタン、メフメト6世の治世に最後の内閣首相を務めたダーマト・メフメト・フェリト(ダーマト・フェリト・パシャ)政権は、1920年セーブル条約に合意、屈辱的な条約に調印することになった。イギリス・フランス・ギリシア軍は、のちにトルコ人たちが自身の国家を建設することとなるアナトリア高原のわずかな面積を残しつつ、オスマン帝国を首都イスタンブルに至るまでくまなく制圧した。

しかしその後の一連の出来事、すなわちトルコ人が「アタトゥルク」(トルコ人の父)の愛称をつけたムスタファ・ケマル将軍の手により行われた、トルコ近代史で「解放戦争(トルコ革命)」として知られるものは、1920年から1923年にかけての同地における様相を変えることになる。ケマルはダーマト・メフメト・フェリト政権の閣僚らを大逆罪で起訴し、オスマン朝の最後のスルタンを廃位、1923年にトルコ共和国の建国を宣言した。その後1924年には共和国における世俗主義およびカリフ制の廃止を表明した。

(5)に進む

(3)に戻る


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:吉岡珠実
記事ID:53842