地震によるトルコの100年間の苦しみ

2023年02月07日付 Milliyet 紙

カフラマンマラシュ県を震源としたマグニチュード 7.7とマグニチュード7.5の2つの地震は、トルコを再び震撼させた。非常に多くの断層が走る我が国において、過去100年に発生した大きな地震をまとめた。

* 1939年12月27日、エルジンジャン県において発生したマグニチュード7.9の地震では、3万3,000人が亡くなり、10万人がけがをし、約11万6,000棟の建物が倒壊した。トルコ国内で生じた最大の震度として記録され、この地震にともない初めて北アナトリア断層の存在が明るみに出始めた。

* 1942年、トカット県エルバー郡においてマグニチュード7の地震で3,000人が亡くなった。

* 1943年6月20日、アダパザル郡とヘンデック群において発生したマグニチュード6.6の地震では336人が亡くなった。

* 1943年11月26日、サムスン県ラディク市で発生したマグニチュード7.2の地震により4,000人が死亡した。

* 1944年2月1日、ボル県ゲレデ郡において発生したマグニチュード7.2の地震で3,959人が死亡した。

* 1946年5月31日、ムシュ県ヴァルト郡において発生したマグニチュード5.9の地震で839人の人命が失われた。

* 1949年8月17日、ビンギョル県カルリオヴァ地区において発生したマグニチュード6.7の地震で450人が亡くなった。

* 1966年8月19日、ムシュ県ヴァルト郡でのマグニチュード6.9の地震で2,394人が命を落とした。

* 1970年3月28日、ゲディズ地区において発生したマグニチュード7.6の地震で1,000人に近い人が亡くなった。

* 1971年5月22日、ビンギョル県を震源としたマグニチュード6.8の地震でも878人が命を落とした。

* 1975年9月6日、ディヤルバクル県リジェ町において発生したマグニチュード6.6の地震で2,385人が亡くなった。

* 1976年11月24日、ヴァン県のチャルドゥラン町で生じたマグニチュード7.5の地震で3,840人が亡くなった。

* 1983年11月30日、エルズルム県で起きたマグニチュード6.9の地震により1,155人が亡くなった。

* 1992年3月13日、エルジンジャン県で発生したマグニチュード6.8の地震で653人が亡くなった。

* 1999年8月17日、ギョルジュク地区を震源としたマグニチュード7.4の地震は、トルコの地震史上最長の地震として記録に残った。この地震では、1万7,118人が死亡し、2万5,000人近くの人がけがをしたと公に発表された。2010年に公表された国会調査報告書においては死者数が1万8,373人に更新された。

* 1999年11月12日、デュズジェ県を震源としたマグニチュード7.2の地震では894人が死亡した。

* 2003年5月1日、ビンギョル県で発生したマグニチュード6.4の地震により176人が亡くなった。

* 2011年10月23日、ヴァン県でマグニチュード7.2の地震が発生した。

* 2020年1月24日、エラズー県において発生したマグニチュード6.8の地震により41人が亡くなった。

* 2020年11月30日、イズミル県のセフェリヒサル地区を震源としたマグニチュード6.6の地震で116人が命を落とした。


■ 瓦礫の下の負傷者はどう扱えばいいのか?

トルコを揺るがした2つの地震の後に瓦礫の下に残された人びとの救助のために現地の親族や国民が急いで向かった。建物から聞こえる「助けて」という呼び声に必死に応えようとする人びとは、数多くの人を負傷者を助け出したが、専門家は、助け出す際にけがが悪化しないいくつかの応急処置のルールを守る必要があると注意を促した。

(後略)


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翻訳者:関颯太
記事ID:54953