Orhan Bursalıコラム「安全な建物はどうして建てられないのか」

2023年02月14日付 Cumhuriyet 紙
なぜ安全な建物が建てられないのか?必要な対策は?

震災後にいつも話題となるが、全くもって、1センチメートルほどの前進も見られないこの件をまたも扱うことになった。この件はそこらじゅうで話されている、何度も聞いたと言われ、読者の興味も引かないかもしれない。しかしながら、書かなければならない。

もっとも恐ろしいのは、建物が完全に瓦礫の山となってしまったことである。瓦礫の山の前に立てば、救命作業がどれだけ困難か、そして、90%の確率で救われていたかもしれない命の中のたった5%が救われたことを目の当たりにするだろう。残った何万もの人々を、彼らがもし地震の最中で命を落としていなければ、我々は生きたままコンクリートの墓石へと捨て去っているのである。(救われた)すべての命に歓喜している、しかし、その裏には何万人もの人がいる、悲痛なのはまさにこれだ。近しい者たちだけが彼らを悼むことができるのである。喜びは我々に、悲嘆は彼らのもとへ!私は喜べない、救い出されなかった人々のことを考えると。

根本的問題は、地震に対して、建物が瓦礫の山となってしまうことなく、中に残された者たちが容易に救出されるような建物がなぜ作られないのかということだ。

■世界規模での貢献

これとこれに類似する問いを、今回、中東工科大学(ODTÜ)のポラト・ギュルカン教授に尋ねた。なぜギュルカン氏なのか?ポラト教授は、先週、全米技術アカデミー(NAE)の会員に選出された。「工学への卓越した貢献、そして地震に関して、世界規模で建物の安全性、耐震性に関して行った科学的取り組みによって…」

私は賛辞を送り、早速、質問を向けた。詳細なまとめは来週のHBT紙に掲載される。ここでは、簡潔にまとめよう。

彼は開口一番、次のように述べた。「その質問に関して、私やその他の災害での被害の減少を目指す者たちは、この40年間で本棚を埋めるほどの文書を執筆し、講演を行い、学会、シンポジウム、ワークショップ、会議を開催してきた。振り返ってみて、大きく前進したとは言えず、トルコ国民の災害と縁のない生活を送る権利に見合う改善を施すことができなかった悲しみと罪悪感を覚えずにはいられない。」

つまり、科学に全く無意識な国、国家運営ということである。我々は、生涯この悲痛を感じているのではないか?

■P.E.(Professional Engineering)制度が必須である。

問い:「建物が瓦礫の山になったことと誤った工学との関係が取り沙汰されています。どのようにお考えですか?」


回答:「もちろん誤った工学と実践があるでしょう。しかし、容疑者として考えられるのはこれらだけではない。これは社会的選択、経済、公共事業に関する立法、さらに政治が関わった複合的なものだ。」

問い:我が国では、4年間の大学教育によって工学の学位を取得した後、実際のプロジェクトへと足を踏み入れる。しかしながら、アメリカやその他の国はそうではない。P.E.制度がある。地震頻発国として「P.E.制度」への移行は必要ではないのか?

回答:アメリカ合衆国は消費者の権利が最も厳格に保障されている国だ。個々人は、ただ良品質なものではなく、最も高品質な完成品が提供されることを当然の権利として考えている。これの実現のための法的環境には、立法手段が備わっている。高いレベルの工学サービスもこれらの中に位置を占めている。

大学教育をどの学位で修了したとしても、職業的知識とその熟練度が試される別の試験がある。高層建築や広い橋は、職業において熟達し、厳格な試験を通過した人々が設計している。トルコではP.E.制度について多くの話し合いがなされた。しかし、毎度のこと先延ばしにされている。


問い:建物が地震を、少ない損傷で、瓦礫へとなることなく切り抜けるため、そして人命が救われるためにどのような建築構造が目指されるべきか?


回答:設計の際に必要とみなされるか否かに関わらず、最低数を指定された「耐震壁」の設置が義務付けられることが解決になると考えている。これは多くの人命を救うだろう。トルコ耐震管理手引きにおいてこれは、第17章で説明されている。しかし、なぜかほとんどの技術者がこの章を無視している。


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翻訳者:村田七海
記事ID:55024