ハタイで町から村への移住、増加

2023年02月25日付 Milliyet 紙

地震で市街地が甚大な被害を受けると、人々は、山地であり、土壌がより丈夫であるため住宅が崩壊しなかった村へと避難した。村から他の地へ移り住んだ人々が戻ってきている村の様子をカメラが上空から捉えた。

地震で市街地が甚大な被害を受けると、人々の動きは、山地であり、土壌がより丈夫であるため住宅が崩壊しなかった村へと流れた。ハタイ県のレイハンルにある、以前は村だったブキュルメズ地区の人口は、地震後25%増加した。村から他の地へ移り住んだ人々が戻ってきている村の様子をカメラが上空から捉えた。

■どの家も4~5家族で住んでいる。テントが必要だ

ブキュルメズ地区の区長であるヒュセイン・ドルグン氏は、現在の状況を以下のように説明した。

「私たちの村では、地震の際、どの建物も倒壊しなかった。土地が丈夫であるからだが、外からたくさん人が移り住んできた。多くは、アンタキヤから、家が倒壊した人たちや、被害を受けた人たちが、より丈夫で安全だと言って、村へ戻ってきた。400世帯があるこの村の人口は1500人であったが、2000人まで増え、現在も増えている。どの家にも4~5家族で住んでいる状態だ。そのため、テントが必要だ。」

ハサン・ドルグンさん(62)の娘も、夫と子どもたちとともにドルグンさんのもとへ避難してきた。ドルグンさんは以下のように話した。
「人生で初めてこのような経験をした、非常に強い揺れだった。私たちの村は安全で、家も平屋で土地が頑丈だ。私の娘は、夫と子どもたちとともにアンタキヤで暮らしていたが、より安全で丈夫だと言って私たちのもとへ避難してきた。好きなだけここにいていいし、どこにも行ってほしくない。」

■子どもたちをシーツで結んでバルコニーから脱出させた

妻と子どもたちとともにアンタキヤから義父の住む村へ移ったゼケリヤ・クズグンさん(43)は、以下のように話した。
「揺れで目が覚め、すぐに子どもたちを安全な場所に避難させようとしたが、隣の建物が私たちの上に倒れてきて、家から出ることができなくなった。9時半ごろ脱出することができた。大変な時間だった、子どもたちを助けることを常に思っていた。私たちは8階建ての建物の2階の部屋に住んでいて、[私たちの家の]柱と建物は丈夫だったが、隣の建物が私たちの上に崩れてきて、家の半分が巻き込まれた。隣の建物の瓦礫からは何も見えなかったが、キッチンのあたりから光が見えた。脱出できた隣人たちも私たちを助けようと呼び掛けていた。キッチンにはバルコニーがあった。子どもたちをシーツで結んで[そこから]脱出させた。私たちも隣の建物の瓦礫から下へ飛び降りた。9歳の娘は今回の地震で非常にショックを受けていて、未だに乗り越えられていない。完全に乗り越えるにはとても長い時間がかかると思う。[義父の]村は安全だと知って、ここへやって来た。今のところはここにいるが、子どもたちの学校のために、いずれはどこか他の場所へ行かなければならない。」


この記事の原文はこちら

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:大畠梨紗子
記事ID:55113