双子と両親、、、、遺体も見つからず―アンタキヤ

2023年03月03日付 Cumhuriyet 紙

アンタキヤで地震により倒壊したイルケ・アパートで、セミヒ、アイシェヌル・ジャーナン・コユンヂュ夫妻は双子の娘イペキ、ドゥルと共に瓦礫の下に取り残された。コユンヂュ一家がまだ救出されていない瓦礫では、遺体に辿り着くことが出来ていない。アイシェヌル・ジャーナン・コユンヂュさんの父アリ・ユルダクルさんは、瓦礫のもとから日夜離れなかったとし、「娘、義理の息子、孫たちは見つかっていない。すべての病院を探して回り、写真も見たが、その中にはいなかった。この時から、ほぼ希望が失われた」と話した。

ハタイ・アンタキヤで地震の後に瓦礫と化したイルケ・アパートで夫のセミヒさん、双子の子供イペキとドゥルさんと共に暮らしていたアイシェヌル・ジャーナン・コユンヂュさんは、捜索救助活動の中では発見されなかった。

25日が経過したにもかかわらず、子供たちを発見できていないと説明した娘コユンヂュさんの父アリ・ユルダクルさんは、「日夜瓦礫のそばにいた。娘、義理の息子、孫たちは発見されなかった。すべての病院を探し、写真を見たが、その中にはいなかった。この時から、ほぼ希望が失われた。彼らは新しい家を買ったが、私たちの近くにいるために、そこには住まなかった。その家ではなく、借りていた家が倒壊した。宗務庁にメッセージを送り、返答を待っている。瓦礫で袋を一杯にして4人のために墓を建てることを考えている」と話した。

■「自治体はクレーンをよこさなかった」

とても激しい地震で目が覚めたと話した父ユルダクル氏は、「収まるのを待ったが、二度目の地震が襲った。我々がいた建物は損壊したのだろうと感じた。娘も近所に住んでいた。彼女の住んでいた建物が倒壊したのを見てすぐに叫び、呼びかけながらその建物の周りを右往左往し始めた。電話も掛けたが、まったく繋がらなかった。空が明るくなった頃、災害緊急事態対策局(AFAD)職員たちが到着した。数名の生存者を発見して助け出した。彼らは自治体にショベルカー、クレーンを求めたが、『それはできない』と言ったそうで、他の瓦礫の方へ行ってしまった。クレーンやショベルカーは夜になって届いた。彼らは6~7日間捜索を行い、救出された人もいたが私の娘、義理の息子、孫たちは発見されなかった」と話した。

■「活動の間、建物の火災は鎮火することがなかった」

日夜瓦礫のそばにいたと話し涙ぐんだ父ユルダクル氏は、「義理の息子は警察官だった。すべての病院を探し回った。警察はありがたいことに、とても気に掛けてくれた。指紋から埋葬者に当たり、写真も見たがいなかった。最後にDNAサンプルを提供したが、まだ一致した人はいない。AFADの職員と面会した。地震の直後に建物で火災が発生した。瓦礫撤去作業が行われる間、火災はずっと続き鎮火できなかった。瓦礫から多くの燃えた骨が出てきた。私の家族も燃えた骨の中にあり、ショベルカーの圧力で折れて瓦礫と混ざっているのだと考えられた。私ももうこれを信じている状況で、どうすればいいのかわからない」と述べた。

■イスタンブルに住んでおり、ここへ戻るのを心待ちに

多くの噂が囁かれていると伝えたユルダクル氏は、「『そうではない、ある人物がやってきて15人を病院へ連れて行った。誰かが私たちを探している。私は30人を連れて行った。』どの病院へ連れて行ったにせよ、私たちに協力してくれと言っている。だが彼らははぐらかして終わりだ。一層私たちの気分を損なった。この時からほぼ希望は失われた。私の孫たちと娘は思慮深いからだ。孫たちは幼稚園に通っていたが、自分の名前や家の番号を言えるぐらいには賢かった。私たちはイスタンブルに住んでいたが、彼らは私たちがここへ戻るのを心待ちにしていた。1か月前に引っ越してきたばかりだ、まさかこのために呼んだわけでもあるまいに。」と話した。

■少なくとも彼らの墓

ユルダクル氏は、「『おじいちゃん』という声が耳を離れない。雲を見るたびに彼らの写真を見ている。まるで、私のもとへ来るようだ。少なくとも、彼らの墓ができるよう望んでいる。最後に宗務庁にメッセージを送り、返答を待っている。瓦礫で袋を満たして4人のため墓を建てようと考えている。簡単ではない、もう村で生活を送るつもりだ」と話した。

■ビルで暮らしたくはない、村へ移る

自然の暮らしに戻りたいが、村の家には電気がまったく通っていないと明かしたユルダクル氏は、「私はもうビルで暮らしたくはない。自分の土地にコンテナの家を建て、電気を引こうとしている。電気はなく、大地と自然と共に暮らしたい。私は長年にわたり児童福祉施設で責任者として勤め、数百人の子どもを育てた。数百人のお年寄りを支援してきて、今度は自分自身のことを気にかけたい。おそらく自然、大地と共に暮らしが収まっていこう」と話した。

■どの家も苦難を抱えている

娘夫婦は多くの夢を抱いていたと話したユルダクル氏は、「彼らは新しい家を買ったが、私たちの近くにいられるようにと、そこには住まなかった。近所同士になろうといって、隣の倒壊した建物に住んだ。新しく買った家は倒壊しなかった。倒壊した建物は築8~9年だった。二人の建築エンジニアと会ったところ、鉄筋の状態は非常に良かったがコンクリートはとてもひどかったという。義理の兄弟、母方のおば、父方のおじも亡くなった。どの村も、どの家も苦難を抱えている。耐え忍ぶ力をアッラーが与えて下さいますように」と述べた。


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翻訳者:関口ひなた
記事ID:55147