3つの断層のぶつかるカフラマンマラシュ、900年前にも地震か

2023年03月10日付 Milliyet 紙

およそ900年前、今回のようにカフラマンマラシュは大地震により崩壊した。もっとも被害が大きかった場所「カラマラシュ」では歴史が繰り返され、再び崩壊することとなった。ヒッタイト帝国が支配し、ドゥルカディルオウルの君侯国(=ベイリク)の拠点ともなったカフラマンマラシュの地震の過去もまた残念ながら(その古称と同様に)黒に染まっている。

2月6日に発生した地震による被害は、とりわけ震源に位置していたカフラマンマラシュで深刻だった。歴史資料を参照すると、「カラ(黒い)マラシュ」と記されているその地域の歴史は興味深い。方言では「ガラマラシュ」と発音される、中心に近いこの地区では、ひと月前に発生した地震による被害は1114年前のものと同様の規模であった。地質学研究所の地震研究グループのスレイマン・パンパル教授は過去のカフラマンマラシュの地震の過去と、現在の地震の“黒い”側面について驚きの情報を伝えた。

■カフラマンマラシュには誰も残らなかった。

過去に発生した地震について、スレイマン・パンパル教授は記録されているものを引用しながら1114年に発生した大地震が、同じ断層の上で発生した2月6日の地震のように崩壊を生じさせていたと説明した。教授は歴史家のウルファル・マッテオス氏の記録を引用しながら、1114年に発生した地震が西ではコザン、アダナ、タルサスへ、南ではハタイヘ、東では気リス、アンテプ、ウルファ、ディヤルバクルへ、北はアドゥヤマン、マラトヤ、エラズウとビンゴルまで伸びる広大な土地に被害をもたらしたことを指摘した。

カフラマンマラシュの壊滅的な火災や災害により、その土地には誰も人が残らなかったと歴史家のウルファル・マッテオスが記述を残している。記録によればその地震もまた深夜帯に発生し、周辺で大きな地すべりが発生したことも記録されている。さらに興味深いのは、災害ののち、住民たちが生きる希望を失ったこと、生き延びた人たちはその地震を「審判の日」と表現していたことだ。

■3つの断層帯が重なる場所に

教授はカフラマンマラシュの地震の背景に複数の断層が重なる地点であること挙げた。さらにカフラマンマラシュと周辺の地域がトルコで最も危険な地震地帯であるとして、以下のように指摘した。

「1513年と1544年にカフラマンマラシュとエルビスタンを震源とする地震が発生し、現在の状況と似たような被害や死傷者が出た。この地域は東アナトリア断層と死海断層、スルグ・チャルダク断層が重なる地点にあり、アラブとアフリカ、アナトリア半島それぞれのプレートが接する地層の上にある。過去と今回の地震の活動を地質学的に分析するとトルコでもっとも危険な地震地帯だということができる。」

■地震のみが理由で「カラ(黒い)マラシュ」と呼ばれていたわけではない

カフラマンマラシュの「カラ(黒い)マラシュ」として知られている地域の名前の由来が地震と関係があるかどうかについてパンパル教授は「カラKara(黒い)」がどこから来ているのかについても触れた。ドゥルカディルオウルの君侯国よりも前、ヒッタイトが居住していた地域にある黒色の岩が名前の由来になっているとして、こう説明する。

「現在カラテペの野外博物館に黒色(=カラkara)の溶岩から制作されたライオンの像がある。この像の色からこの地域がカラテペとなっている。方言で「カラ」はガラと発音される。要するに地震により発生した火災で完全に廃墟となり、一方では周辺の土地の地質の特徴から黒い石で覆われた地域が“ガラマラシュ”と記憶されていると説明できる。

■歴史的建造物はどうやって地震を耐えたのか

カフラマンマラシュで生じるショッキングな地震で新旧の建物が倒壊するなか、歴史的な像や建造物が残っていることは興味深い。パンパル教授は「歴史的な市場や古い建物は通常数階建ての木造や石を積んだ建物であり、過去の地震の教訓が生かされている。さらにより頑丈な地盤の上で建てられていたため、被害を受けづらい。あらゆる地震において基本的な問題とみなされがちな数階建ての建物は鉄筋コンクリート製で、やわらかく、堆積したような土地の上に建てられたものだ。このような地盤のものは地震の被害を3倍から4倍に増幅し、より深刻な被害へとつなげてしまう」と説明した。

教授はさらに歴史的建造物が手作業で建てられているにも関わらず「ふさわしい地盤に正しい構造」の原則があるため、被害を受けづらいと強調しつつ「このように建てられたのは素晴らしい。どれも貴重な文化遺産であり、大切に保護することが必要なものだ」と付け加えた

■ハタイでの被害の理由

教授はハタイがガラマラシュよりも不運だったことを述べ、その地震の過去について触れた。教授は「ハタイでは、526年に発生した地震を経験した歴史家によれば全てが崩れ落ちたという。“宇宙規模の災害”と知られる地震で25万人以上が命をおとした。さらに1822年と1872年にはふたたびマグニチュード7.5の地震が発生したハタイは土砂が堆積した平野にある。地震の観点から不適切な立地であるため、災害が発生し、繰り返すような状況となっている」

「カフラマンマラシュはその長い歴史と勤勉な人々のおかげで被害を迅速に回復し、“ガラ”」の形容詞から救い、地震で倒れないような耐震性のある近代的な街としてずっと繁栄していくだろう。


この記事の原文はこちら

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:小林佑輔
記事ID:55194