PKK襲撃犠牲の9兵士に別れ

2024年01月14日付 Hurriyet 紙

トルコで、「鉤爪と剣」作戦地域でテロリストにより発生した衝突で殉職した英雄達の最後の別れが偲ばれた。
殉職した陸軍中尉のギョクハン・デレンさんの棺を抱き抱えた父親のバイラム・デレンさんは「お前は私の父親だったんだ。神の赦しがなされますよう。」とコメントした。母親のゼイネプ・デレンさんは「息子よ、お前をこんな風に見なければいけないのか。」と涙に伏せた。
殉職したケマル・バトゥルさんの弟であるジェブライル・バトゥルさんは葬儀で兄の軍用迷彩ジャケットを着て「泣きません。しゃんとしています。」とコメントした。


「鉤爪と剣」作戦地域で殉職した陸軍中尉のギョクハン・デレンさん(32歳)の遺体は故郷のアクサライに埋葬された。葬儀では殉職した息子の棺を抱き抱えた父親のバイラム・デレンさんが「お前は私の父親だったんだ。神の赦しがなされますよう。」と話した。

◼︎「お前をこんな風に見なければいけないのかい、息子よ」

デレンさんの所属部隊の兵士たちも参加した葬儀において父親であるバイラム・デレンさんは「お前は私の父親だったんだ。神の赦しがなされますよう。」と言って息子の棺を抱いた。 

殉職した日に最後に息子と話した母親のゼイネプ・デレンさんも棺を抱いて「息子よ、お前をこんな風に見なければいけないのかい」と言って涙に伏せた。
 
殉職者の女兄弟である8か月の妊婦ブシュラ・アスランさんは兄弟の写真にキスをして泣いた。殉職者には4人の兄弟がおり、その内の1人であるオカン・デレンさんは葬儀で兄の軍用の帽子をかぶった。葬儀の後、デレンさんの遺体はアクサライの殉職者墓地に埋葬された。

◼︎殉職したエヴジンさんは故郷のエスキシェヒルで最後の別れが偲ばれた

殉職した兵卒のムハムメド・トゥナハン・エヴジンさんのために、本日レシャディエ・モスクで昼礼拝の後に葬儀の祈りがなされた。

葬儀にはエスキシェヒルのヒュセイン・アクソイ県知事、フゼイフェ・ユルマズ保健副大臣、エヴジンさんの母親フェラフさん、父親ナズィフさん、兄弟のエルディンチさんと姉のウムムゥハンさんと共に大勢の市民が参列した。

葬儀で立っているのも困難であったエルディンチ・エヴジンさんと姉のウムムュハン・エヴジンさんは兄弟の棺を抱きしめ涙を流した。母親のフェラフ・エヴジンさんも息子の棺を抱きしめ「我が子よこんな風にならなきゃいけなかったのか」と言い泣いた。

殉職したムハムメド・トゥナハン・エヴジンさんの父親の退職した元警察官ナズィフ・エヴジンさんは最後の灯明祭の夜に息子が自分に電話してきたことを話して「神の赦しのために祈ってください。私たちの殉職者達に祈って下さい。

私のムハムメドはダイヤモンドの様でした。ムハムメドを神に託します。灯明祭の日には私たちの灯明祭を祝いました。全ての殉職者達と一緒です。神のために祈ってください。連帯し力をあわせる必要があります。」と話した。

県のムフティーであるべキル・ゲレキ師が葬儀の祈りを行った後に契約兵卒のムハムメド・トゥナハン・エヴジンさんの遺体は兵士たちに担がれ車まで運ばれた。

この時殉職者の遺体の後からは手にトルコの国旗を持った行進者が「私はトルコ人だと言える人はなんと幸せな事か」「PKKは呪われろ」「国会にPKKは必要ない」というスローガンを叫んだ。殉職したエヴジンさんの遺体はアルプ郡直轄のボザン地区に埋葬された。

◼︎殉職したムラト・アタルさんは故郷のオルドゥで最後の別れが偲ばれた

「鉤爪と剣」作戦地域で殉職した工兵部隊契約兵卒のムラト・アタルさん(22歳)の遺体は故郷のオルドゥに埋葬された。

◼︎2か月前に任務を開始した

殉職したアタルさんの母親のセルマ・アタルさんとその兄弟達はお祈りがなされた後、棺を抱いて涙を流した。アタルさんの遺体はオルドゥ県のムフティーであるイスマイル・チチェキ師がお祈りを行った後にボルルク地区カバクケリシの一家の墓地に埋葬された。

殉職した独身であるアタルさんは2か月前に任務を開始したことが伝えられた。タルさんには4人の兄弟がおり、その父のヴァヒプ・アタルさんは2021年にオルドゥのウンイェ郡で起きたバイク事故で亡くなったことが伝えられている。

◼︎殉職したバトゥルさんの最後の別れが偲ばれた

殉職した歩兵部隊契約兵卒のケマル・バトゥルさん(23歳)の遺体は故郷のニーデに埋葬された。葬儀で殉職したバトゥルさんの兄弟のジェブライル・バトゥルさんは兄の軍用迷彩ジャケットを着て「泣きません。しゃんとしています。」とコメントした。 

◼︎「息子よ、お前をこんな風に見なければいけなかったのか」

葬儀で殉職者の母と父は息子の棺を抱いて涙を流した。母親のハティジェ・バトゥルさんは「息子よ、お前をこんな風に見なければいけなかったのか」と言った。

独身であり4人兄弟の長男であることが伝えられた殉職したバトゥルさんの遺体は葬儀の祈りがなされた後に村の墓地に涙の中埋葬された。

◼︎殉職したエムルッラー・ギュルメズさんは故郷のギョクスンに埋葬された

殉職した歩兵部隊契約兵卒のエムルッラー・ギュルメズさんのためにギョクスンのハジュクオダル地区で葬儀が準備された。葬儀では殉職者の母親のドゥルダネ・ギュルメズさん(58歳)が涙に暮れやっとのことで立ち続けた。

殉職者の7人の兄弟も葬儀時に涙をコントロールできなかった。殉職者の父親ハサン・ギュルメズさん(74歳)は落ち着こうと努力した。
県のムフティーであるアブドゥラフマン・コタン師によって葬儀の祈りがなされた後に神の赦しが得られた。殉職したギュルメズさんの遺体は兵役仲間に担がれて最後の別れが偲ばれた。

ギュルメズさんは1月17日生まれであり、殉職しなれければその日友人らと一緒に誕生日を祝うはずだったことが伝えられている。

多くの住民が参加した葬儀においてリビアで任務を行った兄弟のアデム・ギュルメズ上級軍曹も参列した。 

◼︎殉職した上級軍曹アフメト・キョルオールさんに故郷ギレスンで最後の別れが偲ばれた

イラク北部で行われている「鉤爪と剣」作戦において分離主義テロ組織メンバーの卑劣な攻撃の結果殉職した上級軍曹アフメト・キョルオールさんの故郷ギレスンのギョレレ郡で最後の別れが偲ばれた。

葬儀の最後、昼礼拝の後に殉職者のため葬儀のお祈りがなされた。また、ギレスン県のムフティーであるセルチュク・クルチベイ師が葬儀のお祈りをした後に上級軍曹アフメト・キョルオールさんはチャタククル村の家族墓地に埋葬された。

◼︎殉職した上級軍曹セルカン・サイィンさんはアドゥヤマンに埋葬された

殉職した上級軍曹セルカン・サイィンさんの遺体はシュルナクで執り行われた葬儀の後飛行機で昨日アドゥヤマンに運ばれた。サイィンさんの遺体を空港でアドゥヤマンのオスマン・ヴァロル県知事、アフメト・アイドゥン労働社会保障副大臣、スレイマン・クルンチ市長、アドゥヤマンのアルバイ・ヒクメト県軍警察司令官、ジハト・ダアデヴィレン県警察署長、AKPの国会議員からムスタファ・アルカユィシュ議員とヒュセイン・オズハン議員、そして殉職者の親族が迎えた。

殉職した上級軍曹セルカン・サイィンさんの棺はのちに神の赦しを受けるためにバフチェリエヴレル地区の父の家に運ばれた。 

親族が涙に暮れる中、棺を抱いた父親のハジュ・アリさんと母親のエミネ・サイィンさんと兄弟達は長い時間涙に伏した。上級軍曹の遺体はのちにアドゥヤマン市墓地モスクに運ばれた。

ここで行われた葬儀に殉職者の兄である下士官ムラト・サユィンさんも制服を来て参列した。

県のムフティーであるメヴリュト・ハリルオウル師によって葬儀のお祈りがなされた後に殉職した上級軍曹セルカン・サユィンさんの遺体は涙の中埋葬された。

◼︎殉職したムゥスリゥム・オズデミルさんはカフラマンマラシュに埋葬された

軍の飛行機でカフラマンマラシュの空港に運ばれた殉職した歩兵部隊契約兵卒のムゥスリゥム・オズデミルさんの遺体は葬儀のためにドゥルカンオール市の郊外のシェレフオール地区に運ばれた。 

ムゥスリゥム・オズデミルさんは数千人が参列した葬儀には殉職者の家族、カフラマンマラシュのムゥケレム・ウンリュエル県知事、シュアイ・アルパイ防衛副大臣、国会議員、レムジ・チャユル人民の道党党首、軍と行政の関係者が参列した。

ムゥスリゥム・オズデミルさんは軍での仲間達の肩に担がれて運ばれた地域の墓地に涙の中で埋葬された。

◼︎殉職した上級軍曹ギュンさんは最後の別れを偲ばれた

殉職した上級軍曹ハカン・ギュンさんはトルコ国旗で包まれた棺で葬儀のためバハエッディン・ナクプオール・モスクに運ばれた。

ここでの葬儀には:ガジズィアンテプのケマル・チェベル県知事、ファトマ・シャーヒン広域市市長、県軍警察司令官のハリル・シェン少将と近親者と住民達が参加した。

殉職したギュンさんの棺に抱きついた父親のスレイマン・ギュさんンとその近親者達は長い時間涙に暮れた。母親のハティジェ・ギュンさんは息子の棺を触りながら泣いた。

殉職したギュンさんは独身であり、ギュンさんの遺体はガズィアンテプ県のムフティーがお祈りをした後に墓地の殉職者用の場所に埋葬された。


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翻訳者:竹田史佳
記事ID:57147