エルズィンジャン金鉱崩落事故で犠牲の村民、現場を語る

2024年02月17日付 Cumhuriyet 紙

アナゴールド採掘会社が2011年に土地を取得すると共に、チョプレル村は鉱床から250メートル下手、カラス川縁の方に移転した。[今回の事件で]、同村出身の2人の作業者が土砂の下にとり残された。3人の息子が鉱山で働くアフメト・オズさんは「畜生鉱山め、平和な時代も、隣人関係も終わった。どうか子供たちの遺体が発見されますように、他に言えることはない。」と話した。

チャルク・ホールディングの共同会社、アナゴールド採掘産業貿易株式会社は、エルズィンジャン県イリチ郡に所在する「チャルク・チョプレル・金鉱山」の最初の環境影響評価(ÇED)を2007ー2008年に実施し、その報告書は2008年4月16日付で「ÇED承認済み」の決定を受けた。

その後2012年、2014年、2021年には(採掘場所の)拡大に伴い再び「ÇED承認済み」の決定を受けた。2023年には環境都市気候変動省に2021年に降りたÇED承認の取り消しを求めて「トルコ技術者および建築家会議所連合(TMMOB)」のセダト・ジェザーイルリ氏、エシュレフ・デミル氏は訴訟を行い、法定手続きは現在も続いている。2022年にはシアン化物を含む溶液の漏洩が検出されたにもかかわらず、鉱山の操業を続けた。

2月13日午後2時28分に、鉱山で化学物質を含んだ精錬濾過を受けた堆積土砂が崩れて9人の作業者が下敷きとなった。この事件から4日が経過した。家族らは土砂の近くで希望を失いながらも遺体の発見のために待ち続けている。採掘会社のとても近くに3つの村がある。このうちの一つも、採掘場と同じ名前のチョプレル村である。

■採掘と共に畜産業が廃れた

アナゴールド採掘会社が2011年に土地を取得すると共に、村は現在採掘場の250メートル下方にあるカラス川の川縁に移った。村のもっとも重要な収入源であった畜産業もこうして廃れた。鉱山会社は村人に別荘スタイルの家を作った。現在50近い家が留まっている。

■チョプレル村の住人2人が土砂の下に

チョプレル村に住む作業員2人が土砂の下に...。ケナン・オズさんとアドナン・ケクリクさん...。ケナン・オズさんの父方のおじのアフメト・オズさん(68歳)はチョプレル村や鉱山、土砂について説明した。

アフメト・オズさんの3人の息子も鉱山で働いている。この地域の多くの人と同じようにがんを発症し、肺の半分を切除した。首都アンカラに頻繁に通い、がん治療を受けているという。アフメト・オズさんの家は川のすぐ50メートル上にあった。オズさんは、「家々が川に向け傾斜しているのを、家々の前で分離してしまっている庭の壁が示している。上には鉱山、下にはダム...。」と話した。

アフメト・オズさんも一時期に鉱山で働いていたことを明らかにし「1956年に生まれた。生まれてからこのかたここに住んでいる。家畜を飼っていたんだ。この鉱山がなかった時代は私の生活もよかった。以前は上方のほうの村(チョプレル村)に住んでいた。そこでは2つの家を所有していた。村の最も良い家は自分のものだった。そこには自分の家畜の群れがあり、トラクターもあり、耕作をしていた。家畜らはいなくなった。トラクターもなくなった。全部売ってしまった、どこでやれというのだ?」といい、村で起こった問題について触れた。

■「作業員が集う場所だ、ここは、だが病院はない」

1967年にここに来た頃には公立病院があった。今はなくなり、診療所があるだけだ。かつては駅舎もあったが、今はそのプラットホームが残っているだけだ。切符売り場すらない。作業員が集う場所だ、ここは...。見てみろ、9人の男が土砂の下敷きだ。もしかしたらさらに、9人が負傷していたかもしれない。その場合は負傷者をどう看ていたのだ?」と話した。

■「牧草地はもうない、すべて占拠されている」

過去に放牧で生活していた時代と、採掘が始まった時代を比べるアフメト・オズさんは、「牧草地はもうない、全て取られてしまった。全て占拠されてしまった。占拠したのだ...。現在、村の全ての牧草地は採掘会社の手にある。牧草地はなくなった。畜産業はなくなった。我々はここに追いやられ、その後は『村人』とも呼ばれなくなった。会社の人間は我々のことを知ろうともしなかった。我々は上方にいる時(かつての村にいた時)は村の人だった。元気か、どうしているのか、といつもお互い気にかけていた。

ここに来てからは村人ではなくなった。モスクの入り口が飛ばされ(地滑り)、そこの部分は直接ユーフラテス川へ流れ込んだ。彼らは鉱山からやって来て、埋め立て、測定装置をおいた。我々が彼らに対する要望があるときは、鉱山の広報担当があるようで、そこに請願しなければならないようだ。広報担当は通常我々の中から選ばれた人がやるものではないのか?ただ広報担当は鉄条網の後ろに置かれてしまい、中に入ることが難しい。『許可を得るのだ!』と言われてもどこから得るのだ、郡知事からなのか県知事からなのか?彼らはこの家々を建てて、後で我々を追い出した。」

■「息子もここで働いている」

鉱山の大惨事があった日、事件を知ってからのパニック状態について説明するオズさんは、「聞いたか、鉱山が崩れた、子供たちは死んだ、と言われた。私の息子もそこで働いており、電話したら『お父さん、3人とも無事だがケナンがいない』と息子は言った。弟の息子だ。ケナンには3人の子供がいる。42歳だ...。」と話した。

大惨事の5日目に待機していたチョプレル村の住人アフメト・オズさんは、「畜生鉱山め、平和な時代も、隣人関係も終わった。どうか子供たちの遺体が発見されますように、他に言えることはない。」と締めくくった。

(注)ドーウ・エクスプレスはアンカラーカルス間で運行している人気鉄道路線である。アンカラ方面からディヴリを超えてユーフラテス川に線路が接するとエルズィンジャンまで川沿いに列車は進んでいく。その間に事件のあったイリチの名をもった鉄道駅がある。化学物質を帯びた土砂がユーフラテス川に流れ込んだ可能性が懸念されている。


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翻訳者:内山千尋
記事ID:57357