スッル・スレイヤ・オンデル死去、アタテュルク文化センターで最後の別れ

2025年05月04日付 Cumhuriyet 紙

トルコ大国民議会の副議長で人民の平等と民主主義(DEM)党議員(イスタンブル選出)のスッル・スレイヤ・オンデル議員が最後の旅路へと見送られた。オンデル議員の告別式はアタテュルク文化センターで執り行われた。各政党、労働組合から花輪が供えられ、同議員の娘ジェレン・オンデル・カンデミル氏が父への手紙を涙ながらに読み上げると会場全体が涙に包まれた。

心臓疾患で18日間集中治療を受けていたDEM党トルコ大国民議会副議長スッル・スレイヤ・オンデル議員(62)が5月3日に死去。
同議員の葬儀は、5月4日午前11時、アタテュルク文化センターで執り行われた。

故人の遺体は正午にレヴェント区のバルバロス・ハイレッティン・パシャ・モスクで執り行われる葬儀礼拝の後、ジンジルリクユ墓地に埋葬される。

■告別式を前にゲズィ公園は封鎖

今日のアタテュルク文化センターでのオンデル議員告別式を前に、ゲズィ公園は警官隊のバリケードで封鎖された。

■午前のうちに病院からモスクへ

昨日亡くなったオンデル議員の遺体は、病院からジンジルリクユ・モスクへと運ばれた。

■各政党から供花

告別式には各政党や労働組合から花輪が供えられた。また共和人民党(CHP)のオズギュル・オゼル党首、民族主義者行動党(MHP)のデヴレット・バチフェリ党首、DEM党本部をはじめ、多数の花輪が故人へと供えられた。

トルコ革命的労働者組合連合の下部組織である革命的建設労働組合も、オンデル議員の最後の旅立ちを一人にさせないようにとアタテュルク文化センターでの告別式に参列した。

■支持者らもアタテュルク文化センター前に集まる

式場となったアタテュルク文化センター前には、オンデル議員に別れを伝えようとする支持者らも集まった。告別式は午前11時に始まった。

センターでの告別式に続き、レヴェント区バルバロス・モスクでの午後礼拝の後に葬儀礼拝が執り行われる。その後、オンデル議員の遺体はジンジルリクユ墓地に埋葬される。

アタテュルク文化センター前は式場に入れなかった市民らで混みあい、告別式が始まっても建物周辺の混雑は増すばかりだった。

告別式には、CHPオズギュル・オゼル党首、イスタンブル広域市ヌーリ・アスラン市長代行、CHPイスタンブル県支部オズギュル・チェリキ支部長、CHPギョカン・ゼイベク地方自治担当副議長も参列した。

■オゼル党首「当に寂しく思う」

CHPのオズギュル・オゼル党首は、式場となったアタテュルク文化センター前で記者団に次のように語った。

「今日は辛い日だ。いちばん必要なときに、つまり我々一同が本当に必要としているときに大事な人間を失った。何年も国会で一緒に働いた。嫌な思い出を積み重ねたことなど一度もなく、むしろ我々一人ひとりが笑顔になり、前向きな気持ちになるような思い出を積み重ねてきた。彼が安らかに、光のなかで眠れますように。本当に寂しく思う」

■棺はトルコ国旗に包まれて
オンデル議員の遺体ははトルコ国旗に包まれた棺に安置され、アタテュルク文化センターに運ばれた。

■式場には「同胞愛」の垂れ幕

参列者はオンデル議員の遺体を起立して出迎えた。式場には「国民の同胞愛万歳」と書かれた垂れ幕が掲げられた。拍手とともに安置されたオンデルの遺体のそばには、故人が愛した人が一人ずつ並び、故人の娘ジェレン・オンデル・カンデミル氏が父の棺の前で涙を流した。オンデル議員への拍手は何分間も鳴りやまなかった。

■娘からの思いのこもった手紙

告別式冒頭ではオンデル議員の娘ジェレン・オンデル・カンデミル氏がスピーチを行った。

スピーチはつぎのような文章で始まった。

「ご参列の皆様に深く感謝いたします。私は何か書き物をするときには必ず父に電話をし、声に出して読み上げていました。まるで自分に読みきかせるように父に読んでいたので、私たちはまるで一人の人間のようでした。父に向かって読み上げながら間違いを見つけたものです。先週、父宛の手紙を書いたので、それを読み上げたいと思います」

(以下略)


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翻訳者:原田星来
記事ID:60069