シリア:『明日も、私たちは続ける』台詞なし短編映画が伝える、終わりなき痛み
2025年05月16日付 al-Mudun 紙

■強制失踪を描いた物語... 「明日も、私たちは続ける」:静かながらも激しい悲しみを秘めた映画
【諸通信社】
実際の証言に基づいて制作された短編映画「明日も、私たちは続ける」は、わずか12分間で、いかなる登場人物も言葉を発することなく、この10年間でシリア人を襲ったもっとも悲劇的な出来事のうちの一つである「強制失踪」を如実に描くことに成功している。
痛ましく、そして沈黙を貫いた視覚的方法によって、この短編映画は強制失踪者だけではなく、彼らの家族に対する継続的な犯罪の影響を描いている。彼ら家族は時の経過では癒すことができず、避難によっても拭うことのできない受け継がれるトラウマを抱えながら、希望と彼らの運命の答え合わせをしたいという気持ちとの狭間にとらわれ続けているのだ。
「国際移行期正義センター」が公開したこの映画は世界中から広い関心を集め、ニューヨーク人権映画祭やロサンゼルス・インディペンデント短編映画祭そしてモントリオール・インディペンデント映画祭の各賞を筆頭とする10以上の賞を獲得した。しかしこの映画はそれ以上の価値がある。なぜならシリア人の土地や情緒に根付く痛みを描きだした視覚的資料となっているからである。そこでは誰かの不在が日常の生活となり、彼らの捜索は終わることのない感情的営みとなっている。
YouTubeで視聴可能となっているこの短編映画は、放逐された前シリア政権の収容所で夫が失踪してしまった過去を持ち、現在は2人の子供とベルリンで暮らしている若い母親の物語を描いている。彼女のベルリンでの生活は、一見安定しており平穏なように見える。彼女は小さなアパートで生活しており、働き、子供達を学校へ送り、仕事も穏やかなルーティーンのなかで日々の家事をこなしている。しかし外見上の安定の背後には、あらゆる動きのたびに揺さぶられる記憶の数々があり、絶えず彼女の日常に忍び込む過去の情景と交じり合う現在がある。
この母親は二つの世界を生きている。平坦に見える現在と、あらゆる場面で顕在化することをやめない過去である。それはギリシャでの難民キャンプに始まり、地中海での難民ボート、夜間の越境、シリアの治安局での尋問やそこで彼女が受けた屈辱的扱いに留まらない。これら全ての光景は、まるで彼女がいかなる瞬間においても経験している恒常的なトラウマであるかのように、無秩序に浮かび上がっているイメージの数々だ。彼女のトラウマは時の経過では克服できず、離隔によっても癒すことはできない。これらのイメージは、まるで夫が失踪してから時が全く進んでいないかのように、断続的な過去としてではなく、彼女の頭の中で絶えず繰り返される現実として現れるのである。
過去と現在の激しい交錯はこの短編映画の核心であり、「安全の地」にたどり着いたあとであっても、なお多くのシリア難民にまとわりつく精神的トラウマを具現化している。この母親は安寧の欠如という終わりなき感覚の囚人である。彼女の閉ざされた場所で混乱し、路上では緊張し、不意を打たれる恐怖におびえている。まるで、危険が存在する場所を自ら去ったにもかかわらず、その危険は彼女の体から去っていないかのように。
この短編映画をもっとも特徴づけるものは、この映画が一切の会話やナレーションを加えずに、総じて視覚的な語り口に頼っていることである。これにより言語や背景の違いに関わらず、世界にいる全ての視聴者が物語を理解し、それに没入することができる。映像や音楽、物語のテンポだけでこの作品の意味は完成されており、制作者が求める感情的な訴求が生じているのだ。
(後略)
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翻訳者:清久功介
記事ID:60153