現地取材!北イラクー47年間のテロが終わる瞬間、PKK武装放棄

2025年07月13日付 Hurriyet 紙

「テロのないトルコ」への道に関し、昨日、北イラクで歴史的な事件があった。1978年に創設されたテロ組織PKKは、その歴史ではじめて武器を放棄した。30人のPKK集団が、まず、ジャサナ洞窟の前の広場で武器を手渡した。そこには、PKKの有力者ベセ・ホザルのコード名で知られるヒュリヤ・オランもいた。手渡された武器は登録され、その後、こうした血塗られた武器に火を放ち、「テロを終わらせる」とのメッセージが送られた。

北イラクでトルコにとって歴史的な一日がすぎた。15人女性、15人男性の30人のPKKのグループが、イラクのスレイマニエから50キロ西にあるジャサナ洞窟広場に、カンディルからやってきた。スレイマニエ・ドゥカン間の道路上にあるカニ・ハン村の後背地の高い山の谷に位置するジャサナ洞窟にやってきたPKKのグループは、その後、武器を手渡した。武器はそこで登録され、その後、特別に作られた炉で燃やされ、廃棄された。

その場には、(トルコの)諜報局の関係者、イラク政府の関係者、イラクのクルド地域政府関係者と警備兵、DEM党、一部のNGO、そしてメディア関係者がいた。武器を手渡したPKKグループは、その後、PKKの支配下にある基地地域にもどった。

■トップからメッセージ「武器を放棄する」

武器を手渡したグループには、女性戦士部隊のなかで、また組織全体でも著名な「ベセ・ホザル」のコード名で知られるヒュルヤ・オランがいた。ムラト・カラユランとともにKCK(PKKの下部組織)の名目上の共同議長であるオランが武器を捨てることは、大きな意味を持つ。これは、組織内で武装放棄に反対しているものたちに、はっきりしたメッセージであったとみられる。また、トルコに対しても、「トップとして武装放棄の準備ができている」というメッセージとなった。

トゥンジェリで1994年にPKKに入ったオランは、ベセ・ホザルのコード名をもらった。トゥンジェリの山間部で4年間を過ごし、多くのテロに関わったオランは、その後、北イラクのカンディル地域に移った。オランは、2013年に、Kongra-Gel会議で、KCK運営委員会共同議長に選出された。PKK内では、女性の武装組織の構成において重要な位置を占めた。オランが武器を放棄したいことは、「テロのないトルコ」に向け、最も重要な一歩の一つであったとみられる。



(中略)

■歴史的瞬間を取材-ジャスマへの興奮に満ちた道程

歴史的1日をみるために、北イラク・クルド政府のエルビル市を朝5時半に出発したとき、特別な一日を迎える様々な動きがあった。最高度の警備体制が敷かれていた。イラク中央政府軍とバルザーニやタラバーニ(の勢力)に属するペシュメルゲ兵士が、交通路上で警備体制をとっていた。到着までに3回、コントロールを受けた。すなわち、道中、バルザーニ勢力とタラバーニ勢力のペシュメルゲ兵が、それぞれの地域で別々にパスポート・コントロールをしていた。約3時間でPKKのキャンプのあるカンディル山の麓のスレイマニエに属するドゥカ郡に入った。

ドゥカに集まった何百人もの地元、及び外国の記者が、PKKのグループが武装放棄をする瞬間を待った。記者らの興奮は発表された記事に表れているが、武器放棄を現地で監視するグループも、車両で入ってきた。会場は、最後の瞬間まで秘密にされていた。地域ではテロの終わりに対する希望の一方で、想定される反対活動に対する心配もあった。このプロセスが被害を被らないように、地上でも空からも、最高度の警備が敷かれた。

■重装備の兵

最後まで秘密にされていた武装放棄の儀式会場としては、歴史的に場所が選ばれた。スレイマニアまで50キロの場所にあるジャスナ洞窟のある谷は、彼らが最も安全だと感じているカンディル山への門のような場所だった。谷は、警備体制下にあった。すべての道は、重装備の兵士によって遮断されていた。儀式の最中には、ヘリコプターがずっと上空を飛んでいた。PKKの武装放棄は、地域でも大きな喜びを持って迎えられた。皆、新時代に希望をもっていた。

■ジャサナ洞窟とは

イラクのスレイマニエの西、50キロの場所にあるジャサナ洞窟は、スレイマニエとドゥカンを結ぶ交通路上にあるカニ・ハン村の裏にあるサラ山脈の高い山に囲まれた谷にある。1923年にイギリス軍の攻撃ののち、シェイフ・マフムードの隠れ家となり、印刷所が作られたジャサナ洞窟では、「バンギ・ハック紙が出版されていた。イギリスに対し、北イラクの反対拠点であったジャサナ洞窟は、半世紀後には、ペシュメルゲ兵にとっても大きな意味を持った。すなわち、バース党に抵抗したペシュメルゲ部隊の隠れ家となっていた。


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翻訳者:トルコ語メディア翻訳班H
記事ID:60456