セリミエ・モスクの修復事業、差し止め
2025年09月27日付 Medyescope 紙

ミマール・スィナンが「自身の傑作」と称したエディルネのセリミエ・モスクのドーム修復計画についての写真が世論で盛んな物議をかもした。多くの歴史家、美術史家、建築家が呼びかけを行った結果、エディルネ行政裁判所は修復活動を止めるよう決定を下した。
セリミエ・モスクはUNESCOの世界遺産に登録された、ミマール・スィナンが「自身の傑作」と評価したモスクで、そこで進められている包括的修復活動、とりわけメインドームの手書きの装飾と書道作品の変更が決定されたことで国際保護規則と歴史の蓄積の完全性の観点から、大きな議論の焦点となった。
■修復におけるヒュセイン・クトゥル氏の影響
ワクフ議会のメンバー、レヴェント・アルバイラク氏は前回の17世紀における修復によってドーム装飾はバロック様式とルーミー様式の折衷とされたとし、またアナトリア地方のモチーフも含まれていると述べた。
アルバイラク氏は、修復案には書道家のヒュセイン・クトゥル氏の「個人的な作風」の影響が大きいと主張した。
「どうやらヒュセイン・クトゥル先生はこの歴史的建築に自身のサインを残したいと思っている。しかしここはUNESCOの世界遺産だ。ミマール・スィナン最大の作品に、個人的な好みのための場所はない。」
クトゥル氏は2015年に大統領府文化芸術大賞を受賞していた。
■誰がどのように反対したか?
歴史家のイルベル・オルタイル教授はドームの修復にとって必要なものは再生か破壊か?との文章を発表し、「我々はこのことに関する管轄機関にエディルネのセリミエ・モスクの本来の姿を守るための緊急介入を呼びかけており、高等委員会の決定を取り消すことを望んでいる。」と述べた。
その後、他の投稿を行ったオルタイル教授は「皆さんには16世紀のトルコの建築を、大家の最大の作品を保護することを学んでほしい。スィナンの作品はいかなる個人やいかなる共同体が独占して消費するような遺産ではない。」と書いた。
作家のアフメト・ウミト氏は「遺産を破壊するな、セリミエ・モスクのドームを損壊するな」と投稿し、修復に反対した。
勝利党のウミト・オズダー党首も文化観光省とAKP党首のレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領宛てのメンションをつけて、「歴史をあなた方が好きに変えることはできない!この歴史的な抹殺を許すべきではない」と述べた。
Change.orgでセリミエ・モスクの修復のための署名キャンペーンが始められ、数千人もがX(旧Twitter)に#SelimiyeyeDokunma (セリミエに触れるな)のハッシュタグをつけた投稿を行った。
■裁判所から活動差し止め命令
計画はドームの文字が本来の姿が損なわれる形で修復されると予見され、エディルネ行政裁判所に持ち込まれた。ANKA通信社の報道によれば、裁判所はセリミエ・モスクのメインドームの文字の変更修復について裁判を開き、進行を差し止める決定を下した。
エディルネ行政裁判所の決定において、高等委員会が承認した計画に関する全資料が要求されたと伝えられた。
■セリミエ・モスクの重要性
セリミエ・モスクはセリム2世の命令でミマール・スィナンによってエディルネにて建設された。建設は1568年に始まり、1575年に終了した。すなわち約7年の期間を経て完成した。
ミマール・スィナンは生涯の晩年に設計したこのモスクを自身の言葉で「傑作」と評価した。
モスクはドームの大きさで当時最先端の技術的解決策の1つを示している。高さ43m超、直径31mでアヤソフィアのドームより大きい。これはオスマン朝時代の建築においてのみならず、世界的な建築史においても重要な成功だ。モスクは4本の細長いミナレットを備え、エディルネのシルエットを一変させて街のシンボルになった。
セリミエ・モスクの内部装飾も、少なくとも建築プランと同程度には影響力を持っている。イズニクタイル、石材、木工品、書道作品の優雅な作例によってモスクは一礼拝空間から、美術史における唯一無二の記念碑へと変じている。このため2011年にUNESCOの世界文化遺産に登録され、「人類の共通遺産」として認められた。
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翻訳者:伊藤梓子
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