タヌル・ボラの新刊を通じた78年世代とは

2026年10月12日付 Medyescope 紙

本紙のルシェン・チャクル編集長は、タヌル・ボラの新刊『革命家たちー78年世代 世代の伝記』を契機に、78年世代の物語、トルコ左派の過去、[1980年]9月12日クーデターが創り出した挫折を講評した。チャクル編集長は、78年世代が経験した敗北が単に組織的なものではなく、精神的なものであったと述べて、78年世代の英雄はいない。」と述べた。

ルシェン・チャクル編集長は、タヌル・ボラ氏が78年世代を取り扱った新刊である『革命家たちー78年世代 世代の伝記』について講評した。自身の若い頃と左派活動の中での経験に触れたチャクル編集長は、1970年代の革命家世代がなぜ1968年世代ほど目立っていないか、自身の過去と向き合うことがなぜ難しいかを説明した。

ボラ氏の約760ページにわたる著書が、78年世代をその時代の出来事の直接・間接的な証拠を通じて取り上げていると述べたチャクル編集長は、著書の中で説明されていることが、家族、教育、左派になること、組織化、暴力、クルド問題、拷問、刑務所といったテーマの周辺で情報収集されたものであると述べた。

この書籍が編集長本人と自らの経験をなぜ書いてこなかったのかという問いにさらしていると説明したチャクル編集長[1962年生まれ]は、1976年に14歳でガラタサライ高校で左派になったことに触れた。

■78年世代は68年世代の陰

チャクル編集長は、78年世代の最も重要な特徴の一つが1968年世代の後継であるが、これが同時に78年世代の可視化を制限する要素の一つとなっていると述べた。

1968年世代がより多く伝説化されていると述べたチャクル編集長は、2つの期間では大衆化、組織人員数、社会的基盤、活動性という点から重要な違いがあると述べた。                                                                                                                                  68年世代がデニズ・ゲズミシュ、マヒル・チャヤン、イブラヒム・カイパクカヤといった象徴的な名前で挙げられるとしたチャクル編集長は、78年世代はというと同じように歴史的な記憶を創り出していないと述べた。多くの人々が、拷問、武力衝突、ハンガーストライキで命を落としたにもかかわらず、78年世代の英雄像が周囲から得られないと述べた。

チャクル編集長によると、78年世代が自身を別の世代として描くのが難しい理由の一つは、1980年9月12日のクーデター後の敗北であった。

「9月12日クーデター後の大規模な敗北は、組織的な意味での敗北であったが、本質的には精神的な意味での敗北を生み出した。」と述べた同編集長は、78年世代が自分たちの過去を自らのものとし説明することがより困難であると述べた。

■人々は説明することを躊躇

チャクル編集長は、1970年代革命家組織の過去についての物語がみな同じような規模で判明していないことに注意を引いた。一部の組織が多数の証拠と物語を持っており、一部はより限定的に取り上げられていると述べた。

過去の不法活動、訴訟、刑罰、刑務所での経験も人々が話すのを避けるのに繋がっている可能性があるとした。

著書の78年世代の社会的なルーツに関する特定にも触れたチャクル編集長は、78年世代では貧困家庭出身の人々が重要な位置を占めていたと述べた。大都市に教育のために出てきた若者及び直近に 移住した家族の子供たちのほか、中流および上中流階級の家庭出身の人々もこの活動に関わっていたと強調した。

■ビュレント・ウルエル追悼

ルシェン・チャクル編集長は、放送の最後に78年世代を引っ張った人々のうち、トルコ革命青年同盟の元委員長のビュレント・ウルエル氏を追悼した。

1952年生まれのウルエル氏は、青年活動家の中で知られたリーダーの一人であったとし、ウルエル氏が9月12日クーデター時期に国外に出て、長い間フランスで暮らしていたと説明した。単に好戦的な性格だけでなく、理論的であり、世界の左派の動向を密接に追っていたことでも抜きん出ていたと述べた。


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翻訳者:新井慧
記事ID:62890