新刊本『1980年以後のトルコ大衆小説』
2013年09月21日付 Cumhuriyet紙


ヴェリ・ウウル氏は、著書『1980年以後のトルコ大衆小説』において、ここ30年間、学生たちの関心によって発展、増加し、ベストセラーのリストを占めるようになった「大衆小説」(popüler romanlar)を分析し、学術的な姿勢で分類した上で批判的な目で評価している。

1980年9月12日クーデターは、トルコの出版界にとって新たな出発点となった。軍事クーデターによって、政治的もしくは文化的使命をもって出版に携わっていた出版社とアナトリアの書店の多くが閉鎖された。トルコの出版業はリセットされたも同然となり、再び一から作り上げられることとなった。今日活発に活動している出版社のほとんどが、80年以降に設立された。80年以降の出版社は、政治的もしくは文化的使命をもった援助を受けられなかったため、商業的に自立せざるをえなかった。書籍の発行は、数の上で増加し、かつ多様化した。そして「ベストセラー」という概念が見出された。このような状況から、出版社は自然と大衆小説 (popüler romanlar) に力を入れるようになった。

ヴェリ・ウウル氏が明らかにしたように、最初のトルコ語小説が書かれた1800年代から、「大衆」(popüler) という題のもとで分析されうるような小説は数多く書かれてきた。その一部は、西洋で書かれた小説を手本として、さらには模倣もしくは写し取って書かれたものであることを考慮しても、独創的でベストセラーになる作品も存在した。しかしその数は決して多くない。トルコにとって小説は新しいものであること、そして80年代まで年間の小説の新刊タイトル数が年間40~50であったことを考えると、納得できる。
ヴェリ・ウウル氏は、大衆文化と大衆小説の研究において研究者たちは大きな後れをとっており、このため先行研究の数も少ないとしている。学問世界は文化産業とその製品を、アドルノが1940年代に定義した概念であるにもかかわらず、理解し解釈することに遅れをとっている。これまでになされた定義も分類も、古びているか、実際の物事に対応できていない。こうした分類を今日の大衆小説に適応させようと試みれば、我々はさらに大きな疑念を抱くこととなるだろう。
ヴェリ・ウウル氏は、『1980年以降のトルコの大衆小説』(2013年7月、コチ大学出版会)において、裏表紙にも抜粋された文章において次のような定義をしている。
「大衆小説の最も顕著な特徴は、大量生産と、ある決まった言葉遣いや紋切り型のキャラクターとストーリーへ頼っている点である。こうした小説は、表面的に見ると世界を問い質すのではなくあるがままに受け入れ、世界を善と悪、黒と白の間で分裂した単純な構造で捉え、世界の問題を単純化し、読者をもこうした世界観に導くものである。こうした広く読まれる大衆小説はもっぱら、社会を問い質し批判するという機能から文学を引き離している、もしくは大量生産による物質的利益を重んじている、といった批判を受けている。」
ヴェリ・ウウル氏は大衆小説を、恋愛小説、ヒダーイェト(訳注:「神によって示された正しい道」の意)小説、SF、ミステリー、スパイ小説、ファンタジー、ホラー、ポリティカル・フィクション、歴史小説に分類している。ウウル氏は恋愛小説を1980年以降の小説の中で最初に取り上げている。ドゥイグ・アセナの『女に名前はない(Kadının Adı Yok)』をはじめとして、この章で取り上げられていない小説、もしくは取り上げられた小説の多くが、この定義には当てはまらないように思われる。トルコでは(女性は)アメリカのようにソープオペラ小説(Beyaz Dizi romanları)でピンク色の夢を見たりはしない、反対にアセナの小説のように、女性が自分のアイデンティティをしっかりと持つことや女性の自由を弁護し、女性をフェミニズムへ引きつけるような作品が書かれている。なぜなら女性読者たちは未解決の問題を抱えており、小説においてもその解決策を探しているのである。

■ヒダーイェト小説

たとえば、ウウル氏が「ヒダーイェト小説」と呼ぶ、信仰を土台とした小説は、たしかに「ある決まった言葉遣いや紋切り型のキャラクターとストーリーへ頼っている」ように思える。しかし決して「問い質し批判するという機能から文学を引き離している」わけではなく、世俗主義をはじめとする共和国の土台をなす原則について議論を引き起こし、みずからの宗教信仰に則ったライフスタイルを推奨している点を見過ごすことはできない。最も典型的な例は、シュレ・ユクセル・シェンレルの、敬虔な女性たちの服装に影響を与え、黒衣からスカーフへ移行させた『平安通り (Huzur Sokağı)』 である。同様にウウル氏が「ポリティカル・フィクション」として取り上げた『金属の嵐 (Metal Fırtına)』といった小説も政治的視点のために色の付いた極めて物議を醸す作品である。ウウル氏もそれに気付いており、関連する章で言及している。
ミステリーのジャンルにも、定義に問題が見られる。オスマン・アイスの小説は、「大量生産と、ある決まった言葉遣いや紋切り型のキャラクターとストーリーへ頼っている点」ではヴェリ・ウウル氏の定義に当てはまっているものの、アイスが「世界を問い質すのではなくあるがままに受け入れ」ているとは言い難い。また、アフメト・ウミトもしくはジェリル・オケルといったこのジャンルを代表する作家たちの作品に、大量生産、決まった言葉遣い、紋切り型のキャラクターとストーリーが用いられていると言うことはできない。ウミトも、オケルも、他の新しい世代のミステリー作家たちも、トルコが抱える重要な問題を勇気をもって取り上げ、徹底的な議論へ導いている。そもそも世界においてもミステリー小説は一般的にこのような傾向にあり、紋切り型や陳腐さや決まり文句は見当たらない。我々が思いつく限りのもしくは思いつかないようなあらゆる問題が徹底的に書かれ議論されている。
ヴェリ・ウウル氏はカテゴリー化に相応しい作品を選ぼうとしたが、ところどころこの選択が適当でないところがある。プナル・キュルとイスマイル・ギュゼルソイのミステリー的内容の小説は、大衆小説なのだろうか、もしくは文学的作品の中でミステリーの要素が用いられた例にあたるのか?彼らの小説には、売上と内容の両方の観点から大衆小説の定義に当てはまらない文学的価値があることは明らかである。
他方で2000年代に人気を博しよく売れた小説を見てみると、重要な欠落があることに気付く。歴史小説といえばイスケンデル・パラの小説やトルコで最もよく売れた本であるトゥルグト・オザクマンの『トルコ狂乱 (Şu Çılgın Türkler) 』を挙げるべきだろう。歴史が政治化され再び記述されること、大衆小説が政治に無関心でありながら政治的になることについて議論するには、オザクマンの小説を取り上げるのが一番よいと思う。
読者の立場からは、今現在ベストセラーにランキングされる小説こそがポピュラーである。ズュルフュ・リヴァネリ、エリフ・シャファク、アイシェ・クリン、ブケト・ウズネルといった何十人もの作家たちの小説を、ウウル氏の分類のどこかに位置づけることはできないだろう。
文化産業は「大衆小説」への批判をよく知っており、そのため大衆的なものと文学的なものを融合させようと努めた。そして読者たちへ自分の買った本は楽しい読書を保証してくれ、かつ所有することに誇りを感じられるような製品であると徐々に信じさせることで、大衆向け商品の価値を高めた。文学作品はよく売れる小説に変えられた。他方では一つの小説によってあらゆる種類の読者へ同時に訴えることができるよう、大衆向けと認識される様々なジャンルの融合物から「ベストセラー」というジャンルを創り出した。もはやたくさんの本を容易にカテゴリー化することはできないのである。

■分厚い小説…

ヴェリ・ウウル氏は、自らの大学生の観察によると、読者は薄い本を望んでいるようだと述べている(s.315)。しかし大衆小説は徐々に分厚くなっている。出版界の動向に注目している人々も、大衆小説が厚くなった理由を知りたがっている。「分厚い小説」は出版社が一度により多くの売上金を得、作家はより多くの印税を手にすることを意味する。しかし同様に読者の好みもあるだろう。需要なしに供給はない。読者がそのような本を望んだのでなければ、どんなに努力しても供給したい本は売れない。ファーティフ・アジェル氏がブルサの学校9校で大衆小説を読む421人の若者を対象に行なった調査に、大衆小説の読者に関する興味深いデータが出ている。アンケート調査に参加した生徒の41%が401ページ以上、39%が301~400ページの小説を読んでいる。36.8%は1~3日に1冊、33.3%は1週間に1冊本を読んでいる。「小説を選ぶ時、何を重視していますか?」という質問に対し次のような回答が得られた。326人が「没頭できること」とし、あとは「自分を反映していること」43人、「周りの人からのすすめ」16人、「皆が読んでいること」16人、「よく売れていること」11人、「ページ数の少なさ」9人。大衆小説の購入においては、「友人のすすめ」が31.6%、「ベストセラーに入っていること」21.4%、「好きな作家の本であること」16.9%、「広告の影響」6.2% 
(turkishstudies.net/Makaleler/1398366249_01AcerFatih-edb-1-23.pdf)。
ヴェリ・ウウル氏の『1980年以後のトルコ大衆小説』は、こうした議論の口火を切り、基本的に大衆小説と言うとき我々が何を思い浮かべ、一般的にどのような小説がどのようなジャンルに入るか考えるための拠り所となる一冊である。

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(翻訳者:篁日向子)
(記事ID:31496)