ロウハーニー大統領「表現の自由は皆に認められるべきだ」(3)
2014年03月09日付 Iran 紙

プレスの発行停止は最後の手段であって、最初ではない

 ロウハーニー大統領は続けて、一部のプレス・メディアがあたかも保護者・監督者であるかのような振る舞いをしていることを批判し、「すべてプレス・メディアは平等の権利・権限を有している。もし自分のことを優越した立場にいる者だと考える者がいるとしても、この政権はそのような人物を優越した存在とは見なさない」と指摘、さらに次のように述べた。

一部のプレスは、鋼の要塞を築き、誰もここに近づかないようにしている。行政権も、司法権も、である。そして彼らはこの鋼の要塞よりも高いところに自分たちがいて、自ら保護者・監督者であるかのように考えている。彼らは自分たちのことを、政府に対する保護者・監督者であるだけでなく、各政党や各党派、さらには人々の保護者・監督者だなどと思っているのだ。

※訳注:ロウハーニー大統領がここで批判しているのは、保守強硬派の代表紙として知られるケイハーン紙のことだと思われる。ケイハーン紙はハーメネイー最高指導者直轄の新聞で、同紙の発行責任者であるシャリーアトマダーリー氏は同紙の社説で、しばしば最高指導者の代弁者に自らを位置付けて、痛烈な政権批判等を行っている。

 ロウハーニー師はさらに、次のように強調した。

あらゆる者に平等な安全が保証されている。間違いを犯した者は、それが誰であれ、その過ちに対して処罰されねばならない。いかなる者も、完全な安全に守られているなどと感じるべきではない〔=過ちを犯しても処罰されない、というようなことがあってはならない〕。この件に関して、政府は〔新聞の〕発行停止は最後の解決手段であって、最初のそれではないと考える。

 大統領はプレスの発行停止で性急な動きがあることを批判し、

プレスや新聞が間違いや重大な過ちを犯すこともある。もしそれを処罰するのであれば、最初の一歩は〔問題となるような記事を書いた〕執筆者や〔そうした記事の掲載を認めた新聞の〕発行責任者への処罰であるべきである。なぜ〔過ちを犯した〕メディア全体が閉鎖処分を受け、そこの各部署で働く人々全員を、一人の人物の過ちのために失業させねばならないのか。

 と指摘した。

 大統領は「今日、一部の自由人だけが自由を享受し、その他は自由をほんの少ししか享受できないような状況になっているのはなぜか」と問いかけ、

この政権に批判の声を上げたり、異を唱えたりしている者たちは、自由であり、これからも自由である。しかしそれと同様に、政権を支持する者たちも、自由や安全を享受できるようにすべきだ。批判は結構。特に建設的な批判はそうである。これは政権にとっても名誉なことである。〔‥‥〕

 と述べた。

〔‥‥〕



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:大麻高校出身者の会 )
( 記事ID:33248 )