キサースは権利なり、赦しは甘美なり:キサース刑は犯罪再発の抑止のため(下)
2014年05月18日付 Jam-e Jam紙

仲裁は実っているのか?

 確かにキサースは表面的には暴力的であり、そこでは人一人の命が奪われてしまう。しかしキサースの内実は、暴力とは無縁だ。故意に、あるいは誤って人の血で自らの手を汚してしまった者は、その代償を支払わねばならない。絞首台の土台のところに掲げられている大きなプラカードに「法律を破ったことの帰結」と書かれているのも、まさにそのためなのである。

 にもかかわらず、殺人事件が起きて、殺人犯がキサースの宣告を受けたとき、特にメディアが印象操作をしてしまうような特殊な特徴をその事件が有している場合、被害者遺族は辛い状況に置かれてしまうことがある。殺害犯が未成年であったり、あるいは世間の同情を掻き立てるような特徴をもっていたりするような事件では、特にそうである。

 〔被害者遺族とは別の〕一般民衆が〔勝手な〕判断をし始め、ときに被害者遺族があたかも〔加害者を〕赦そうとしない悪者であるかのように考えてしまう雰囲気が作られてしまうのは、まさにこうしたときなのである。

 〔被害者遺族と加害者の間で〕仲裁を成立させる目的で問題に介入する人々が現れ、彼らが被害者遺族から赦しを得よう説得に努力したにもかかわらず、結局こうした努力が実を結ばないと、被害者遺族を悪者にしてしまおうとする風潮はさらに悪化する。こうした努力はもちろん、一部の事件では実を結び、殺人犯が赦され、キサース刑の執行が無効になることもある。しかし多くのケースでは、実を結ぶことはなく、死には死が続くこととなる。

 恐らく、加害者と被害者遺族の間の仲裁に向けた努力が実を結ばなかったもっと良い例の一つとして、ベフヌード・ショジャーイーの事件を挙げることができるだろう。彼は84年モルダード月〔※2005年7/8月〕に、テヘランのとある公園でエフサーンという名の17歳になる若者を刺殺した男である。彼は罪を犯したとき18歳に満たなかったため、本件は彼が21歳になるまで保留とされ、最終的に処刑されてしまった。

 ベフヌードを処刑から救おうと、一般人から著名人、有力者まで、さまざまな人がこの問題に関わった。被害者遺族は何度か、口頭で仲裁に同意する旨を表明したが、しかしそのたびに被害者遺族は心変わりして、ついにベフヌードが絞首台に上る日を迎えたのであった。彼はこの日、エフサーンの父親の足元に駆け寄り、命乞いをした。彼は強く泣き叫んだため、被害者の父親は情愛の念から彼の頭を抱き寄せ、またエフサーンの姉妹・兄弟も父親に彼を赦すよう懇願した。しかし父親のベフヌードへの同情を阻んだのは、エフサーンの母親の号泣混じりの絶叫だった。最終的にエフサーンの母と父は一緒に絞首縄をベフヌードの首に巻き、この問題は終わりを迎えたのであった。

 「私には、私のために祈ってくれる母親がおりません。だから、わたしの母親になって下さい」と泣き叫ぶベフヌードの叫びに、ベフヌードの両親が耳を貸さなかったのはなぜか、それを理解するためには、この両親の立場に自分を置かねばならない。愛する者を、それも殺人という形で亡くしたことのショックが彼らにとっていかに激しく、人間愛という本性すらも上回ってしまい、彼らをキサース刑の執行に固執させてしまうのか、〔それを知りたければ〕彼らの立場に身を置かねばならない。

 それゆえ、家族の一員の血が不当にも流されてしまった被害者遺族に対して、あれこれと指示することはできないのである。しかし次のような判断は可能だ。つまり、もし彼らが殺人犯を赦したならば、それは美しいことであり、また赦さなかったとしても、それは彼らが罪や不正を犯したことを意味しない、ということだ。そしてこれらすべてが、キサースというものなのだ。

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(翻訳者:白糸台国際問題研究所)
(記事ID:34012)