イスタンブルの「リトル・ダマスカス」活況
2015年12月12日付 Hurriyet 紙


戦禍を逃れてトルコへやってきた220万人のシリア人難民のうち、難民キャンプに留まっているのは25万人に過ぎない。イスタンブルで生活している難民の数はおよそ33万人だ。シリアの戦争はいつ終わるのか定かでない。このため(シリアから)来た人々は、もう戻ることはないかのように定住しつつある。 既に学校やラジオ局、文化・芸術団体がある。イスタンブルのファティフ区には、イギリスの首都ロンドンにあるチャイナ・タウンのような、シリア・タウンがある。アレッポのお菓子屋、ダマスカスのドネル・ケバブ(シャヴァルマ)屋、ラタキアのカフェ...。本屋やカフェでの詩の朗読や音楽の演奏会が、街の文化へ加わった最も大きな要素だ。

ファティフ区にあるハセキ病院へ続く通りへ足を踏み入れると―特にトラムヴァイ(路面電車)のユスフパシャ駅とフンドゥクザーデ駅の間の地区を歩いている時などは― 聞こえてくるのはアラビア語だけになる。通りは特に16時以降、非常に活気づく。

シリア人の男女学生、家族連れ、女性、男性たちで、通りや路地はいっぱいになっていく。このあたりには18件近くのレストランがある。我々が最初に立ち寄ったのは、先駆者のひとつであるタルブシュだ。はじめ、混雑で座る場所を見つけられなかった。この店にいる間じゅう、客の波が途絶えることはなかった。 たくさんの客の中には、家族連れからビジネスマン、学生まで様々な人がいる。全員がシリア人だ。さらには、偶然店内に入ってきた行商人もシリア人であった。

この店のオーナーであるムハンマド・ニザル・ビタルさんは、戦争が勃発して間もない2011年にトルコへとやって来て、小さな倉庫でフムスを作る仕事を始めた。ビタルさんは、シリアとトルコの文化がひどく似通っていると明言し、次のように話す。

■食卓を囲み新たな生活について話す

「私たちが店を開いて最初のうちは、お客さんの90パーセントがシリア人で、10パーセントがアラブ人でした。それが今では、トルコ人のお客さんの割合が35パーセントにまで増えました。シリア人の家族のテーブルで、最もよく話題にされるのが新しい生活のことです。早くにトルコに来た人々が、新たに来た人々へ、『トルコ人は寝るのが早い。夜は洗濯をしたり、掃除機をかけたりしないことだ』などとアドバイスをするのです。レストランで働いているトルコ人の友人たちは、ここを訪れてレシピを持ち帰っていきます。今は他のレストランがシリア人の料理人を探しています。食材を見つけるのは難しいことではありませ ん。ないだろうと持っていた野菜やスパイスの多くがありました。シリアでいうところの『ケシュケ』を、ここではタルハナという名前で見つけました。私たちにとってトルコは美しい夢のようなところです」。

■意思疎通の唯一の方法は試すこと

次に立ち寄ったのはある菓子屋だ。アレッポ出身のオーナーや従業員たちのうち誰一人としてトルコ語はわからない。彼らはトルコ人客へ商品名を伝える―― 牛乳入りハレプ(アレッポ)、ピスタチオ入りシャム(ダマスカス)……。中身が何なのかを知るためには試食してみるしかない。この通りでの商売に成功している別の店がアナス・ドネルだ。店の前から中まで、タクスィム広場にあるハンバーガーショップかのように、信じられないほど混んでいる。その上、食事の伝票までアラビア語だ。壁には「トルコ人従業員募集中」の広告が掲示してあった。経営者のムハンマドさんは、この状況について「手が足りていないんです」と打ち明けた。アナス・ド ネルは、この通りにあるほとんどの店と同じように、およそ1年半前にオープンした。ダマスカスを中心とするこのファーストフード・チェーンは、シリアやト ルコの他、エジプトやヨルダン、イラクに、合計12の支店を持っている。

昨年、ダマスカスの支店が爆撃で大きな被害を被ったという。彼らは、トルコでのビジネスはうまくいっていると話す。フンドゥクザーデ駅周辺にある数々のシリア系の店の中に、「ハジュ・オラビ」というコーヒーとナツメヤシの店がある。ラタキア出身のアフマド・キフヤさんが所有しているこの店は、シリア版スターバックスとも言える……。メニューの一番上にはシリアコーヒーが載っている。このコーヒーはナツメヤシが添えられて出てくる。

この他にムッラ(アラビアコーヒー;ウルファ、マルディンなどトルコ南東部でも飲まれている)、トルココーヒー、ディベキ・コーヒーなどを飲むこともできる。日が沈んでからは、客の大半がシリア人男性だが、日中は好奇心旺盛なトルコ人客が店にやって来ることもある。

■本屋から路地に漏れるジャズの音


戦争から逃れてきたシリア人たちがファティフ地区で開いた、音楽の演奏会や詩の朗読会を開催している本屋兼カフェは、彼らがこの街の文化に加えた最も大きな要素のうちのひとつだ。古い木製の建物から路地へジャズの音色が流れると、外で待っている人々は、多言語な本屋でもあるカフェで行われる、著名な作家による本の朗読を聞こうと、少しずつ中へと入り始めた。ファティフ地区にある魅力的なカーリエ博物館の向かいに位置する、シリアから来た人々によってつくら れ運営されている文化センターについて話していこう。

画家であり編集者でもあるシリア人のサミル・アル・カーディルさん(42)は、シリア内戦から逃れた後、2013年にトルコへやって来て、6か月前に 「Pages」という名前の本屋兼カフェを開いた。この店は、シリア人画家や作家、大学生たちの避難所たる港に変貌を遂げたようだ。カフェでは、有名なシリア人作家たちが訪れ、本の朗読を行ったり、本にサインをしたり、小規模な展示会を開催したりし、さらには週に2回、夕方にシリア人のミュージシャンによ る演奏会が実施されている。

■世界中のシリア人がここを知っている

アル・カーディルさんは、近頃は文化センターでの演奏会にシリア人だけでなく、トルコ人、ヨーロッパ人、アメリカ人までもが来るようになったと話す。件のカフェ は、先週ドバイに住むシリア人の詩人・作家であるネスリン・トゥラブルスィさんをもてなした。トゥラブルスィさんは、「ここは、もはや世界中のシリア人に 知られているお店になりました。だから、ここで本の朗読会を行いたかったのです」と話す。トゥラブルスィさんは、国の将来には全く希望を抱いていない。 「今のシリアの状況はひどいものです。まずアサド政権のせいで国はこの状態になり、今国の人々がその代償を払わされています。世界中がそうなるでしょう、 もはやシリア人難民はあらゆるところにいるのですから」。

■私たちはすでにここの住人

イスタンブルでシリア出身の知識人たちが集まる場所としては、他に2014年にオープンしたシリア文化の家・ハミシュがある。設立者のひとりであるラッカ出身の作家ヤッスィン・アル・ハジ・サレフさんは、シリアで長年政治犯として服役した後、2013年にトルコへやって来た。サレフさんは、シリア文化への関心が高まっていると話す。「シリア人の作家や芸術家たちは、トルコでは受け入れてもらえないとヨーロッパへ渡るほうを選んでいました。しかしそれももう変わり始めています。国外退去に関して、社会が犯した最大の過ちは『半年か1年で家へ帰る』と考えていたことです。しかしたぶん私たちは何年もここに 留まることになるでしょう。この認識を変えようと試みています。ゲットーに隔離されたままでいたくはありません」。

■シリアの声をラジオで

トルコで生活するシリア人移民たちは、しばらくすると自分たちの報道機関を組織し始めた。発行部数はわずかながら、複数の新聞が発行されている。しかしトルコのシリア人たちの間で最も普及しているメディアは、インターネット・ラジオだ。これらのうちのひとつが、イスタンブルを拠点とする 「ソウト・ラヤ(ラヤの声)」だ。シリアでの騒乱の後、亡命せざるを得なくなった記者と編集者のグループによって設立された「ソウト・ラヤ」イスタンブル 本部では、約15人が働いている。それだけでなく、シリアのダマスカスやアレッポ、イドリブなどの都市に約30人のボランティアの通信員がいる。ラジオのアリサル・ハサン局長は、放送ではできる限り客観的かつ中立的に報道を行うよう心掛けていると述べる。「私たちはどの政党も支援していません。私たちの放 送では、シリア人市民が抱える状況やドラマに注目するようにしています。過ちを犯したものはそれが誰であっても批判します。それは政権であるかもしれませんし、その反体制派かもしれません」。

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( 翻訳者:粕川葵 )
( 記事ID:39375 )