「ハーン・トゥマーンの悲劇」で本当は何人のイラン人が殉教/捕虜になったのか(1)
2016年05月09日付 Iran 紙

【イラン・オンライン:ミーザーン通信政治部】ハーン・トゥマーンの事件、そしてこの要衝をタクフィール主義者たちに占領させたアメリカの計略・策謀が、最近のメディアのトップニュースを飾っている。ハーン・トゥマーンは、シリアの二大都市であるアレッポダマスカスの間にある戦略的都市であり、1394年エスファンド月(西暦2016年2/3月)にロシアとアメリカの間で結ばれた合意によって確立した停戦区域に位置している。この地域を侵略したタクフィール主義者らは、アメリカ、サウジアラビア、そしてトルコから、資金面および物流面での支援を受けている。

 戦略都市ハーン・トゥマーン占拠のニュースがメディアで伝えられたのは、金曜日のことだった。各メディアが伝えているように、この日、「アン・ヌスラ戦線」のタクフィール主義者たち約3000人が、「穏健派」とされる「アル・ファトフ軍」という名の勢力の旗を掲げながら、停戦を踏みにじり、アメリカから贈与された武器によってハーン・トゥマーンを攻撃、この要衝を占拠したのである。

〔‥‥〕

 現地の状況が示すところでは、シリア軍ならびに〔イランやヒズブッラーなどの〕抵抗戦線は近い将来、ハーン・トゥマーンを再度タクフィール主義のテロリストらの手から解放することになるだろう。なお、シリア軍はレバノン・ヒズブッラーの協力を得て、昨年アーバーン月(西暦2015年10/11月)に全面攻撃を実施することで、複数の街道から戦略都市ハーン・トゥマーンに入り、テロリストらをこの地域から敗走させることに成功している。

つづく


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( 翻訳者:KWNK )
( 記事ID:40518 )