イラク:「ローザンヌ条約失効」神話は本当か?(6)

2022年06月19日付 al-Quds al-Arabi 紙

■イラクとローザンヌ条約失効の神話

【トルコ:本紙】

そして1924年4月30日、国際連盟は「モスル問題」に関する情報および勧告を提示し、同連盟がイラク・トルコ間の国際問題の解決に向けた決議を採択するうえでの手助けをする国際委員会の設置を決定した。真相究明のための国際委員会は、1925年1月27日にモスルに到着すると広範にわたる調査を開始、モスル州のあらゆる行政区画*で現地調査を行った。また地域の将来に関わる要望や意見を把握するために、住民らと多数の連絡を行った。1925年3月19日、委員会は調査を終え、国際連盟の本部があるジュネーブに向けイラクを発つことを決定した。そして1925年7月16日、「モスル問題」に関する調査報告書を提出し、そこで現在のニネヴェ県、エルビル県、ドホーク県、スレイマニヤ県、キルクーク県を含んだモスル州の非分割を勧告、同州のイラクへの組み入れを提案した。またイラクが完全な主権に獲得し、25年以内に国際機関の加盟国になるよう、国家建設におけるイギリス委任統治の役割を確認した。

そこでは行政、司法、教育の分野における雇用に関するクルド人の希望も考慮された。そして1926年12月、国際連盟の委員会はモスル州のイラク国境内への残留を決定し、トルコ共和国はその国際的決定を認めた。国際連盟は同様に、イギリスに対しては、イラクと新たな条約を結ぶように命じた。

*オスマン帝国の行政単位(上から大きい順)
ウィラーヤ  ولاية16世紀以降のトルコにおいて行政区分の最大単位(ヴィライェトvilayet)
リワー لواء (サンジャクsancak)
カダーقضاء (複数形アクディア أقضية)
ナーヒヤ  ناحية

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翻訳者:吉岡珠実
記事ID:53844