教育相、内閣を去る:辞任か、解任か?
2007年12月03日付 E'temad-e Melli 紙
写真:ホッジャト・セパフヴァンド(エッテマーデ・メッリー)
写真:ホッジャト・セパフヴァンド(エッテマーデ・メッリー)

【社会部】ある会合でイランの小中高のあり方が西洋的であると懸念を表明した、まさにその日の夜遅く、かつて国会によって問責されたこともある教育相が辞任したとの報が流れた。これで第9期アフマディーネジャード政権としては5度目の閣僚交代劇となった。内閣を去った5人目の閣僚である教育相もまた、これまでと同様「辞任」という形式を取っており、マフムード・アフマディーネジャード大統領のお友達の一人が、代わって入閣する予定だ。

 ファルシーディー前教育相の辞任は予期せぬ出来事であった。彼は教育相の職にあった最後の瞬間まで、教育システムのイスラーム哲学への適合といった教育省の長期計画の策定に携わっていたからだ。ファルシーディー前教育相は自らが教育相に就く前に策定されたプロジェクトを、自らの教育観に合致しないとの理由で、最終的に見送る決断を下していた。

 〔中略〕

 ファルシーディー教育相辞任の報は土曜日の夜に報じられたが、閣僚も教育省高官も、誰一人として昨日(日曜日)正午までにこの報道について説明する準備ができていなかった。実際昨日朝、アリー・サイードルー行政担当副大統領は教育相辞任の報を次のように否定していたくらいである。「教育相辞任の報道は正しくない。彼は今も、自らの職務を遂行している」。

 サイードルー副大統領は土曜日夜に起きた出来事について何も知らない様子だった。というのも、同副大統領はファールス通信に対して、さらに次のように述べていたからである。「残念ながら、一部のメディアはある特定の目的から、第9期政権を構成する閣僚辞任に関する報道を毎日のように流している。彼らがこのような内容を報ずることで政権内部に確執を生みだし、弱体化させようとしている理由について、きちんと調査する必要がある」。

 しかし副大統領が調査を決断する前に、ある教育省の情報筋はファールス通信に対して次のように語った。「大統領はファルシーディー教育相の辞任をすでに受領しており、教育相代行に関しパヤーメ・ヌール大学〔一種の放送大学〕の学長と協議を行っている。教育相は今日(日曜日)の全てのスケジュールをキャンセルした。このこと自体、彼の辞任が教育省にとって突然の出来事であったことを物語っている」。

 この「突然の出来事」は、しかし現実のものとなった。しかし、これは他の閣僚にとって必ずしも思い当たる節がなかったわけではなかったようだ。ニュースサイト「アレフ」は、次のような話を伝えている。「大統領の要請により、マフムード・ファルシーディー氏は教育相の職を辞することになった。サマレ=ハーシェミー大統領顧問はファルシーディー氏との面会の中で、大統領が教育相交代の決断を下したことを明かし、同氏に対して職を辞するよう求めた」。

 いずれにせよ、教育省の計画は今日から完全に変更される。さまざまな憶測が流れたものの、マフムード・ファルシーディー氏は昨日正午の礼拝を済ませた後、教育省の職員らを前に、次のように語ったとされる。「教育相の職にあった2年間、いかなる場面でも私は善意を尽くし、ひとびとに奉仕するために努力してきました。しかしいずれにせよ、〔内閣を〕改造するのは政府の権限です」。

 この発言から、現在同氏は「辞任」したと報じられているものの、必ずしもこのことばが用いられているわけではないことが見て取れる。イラン学生通信(ISNA)が報じた同氏の発言を見ると、彼は「辞任」ということばを用いずに、同省を去る雰囲気を漂わせていることが分かるのである。「重要なのは、その人がどのような意図をもっているか、です。どのようなポストに就こうと、決められた責務を果たさねばなりません。私が教育省に奉職した期間、皆さんが私に真摯に協力してくれたことに感謝します」。

 マフムード・ファルシーディー前教育相は、一度国会から問責されながらも、その後も何とかして自らのポストにとどまった経歴を有している。彼はもはや、彼の言を借りるなら、「イランの青少年の信仰心を高める」ために作られた教育省に通勤することはない。大統領が彼の辞任を受領したことを受け、教育省の舵取り役はパヤーメ・ヌール大学の学長で、アフマディーネジャードの親密な友人の一人であるアリー・アフマディー氏に委ねられたからである。



訳注:これまでアフマディーネジャード政権から去った閣僚らは、それぞれ以下の通り。
2006年9月下旬:カーゼミー福祉相
2006年10月下旬:アルダカーニー協同組合相
2006年11月中旬:ラフバル行政企画庁長官
2007年8月中旬:タフマーソビー鉱工業相、及びヴァズィーリー=ハーマーネ石油相

これ以外にも、2007年8月下旬にシェイバーニー中央銀行総裁が、10月中旬にはラーリージャーニー国家安全保障最高評議会書記が職を辞している。

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:12598 )