サッファール=ハランディー前文化イスラーム指導相、ハムシャフリー紙を攻撃
2009年12月12日付 Mardomsalari 紙

第9期政権で文化イスラーム指導相を務めたサッファール=ハランディー氏は、最新の発言の中で、新たな角度から再び改革派への攻撃を行った。しかし今回サッファール=ハランディー氏の非難の矛先は、〔改革派系の新聞だけでなく〕原理派系のハムシャフリー紙に対しても向けられた。第一回イスラーム教育協会総会で演説したサッファール=ハランディー氏は、アフマディーネジャード大統領の原理派内のライバル、ガーリーバーフ・テヘラン市長系のハムシャフリー紙こそ、「ソフトな戦争」の先鋒に他ならないと指摘したのだ。

 イラン労働通信の報道によると、ホセイン・サッファール=ハランディー氏は、「ソフトな戦争」は「強要された戦争」〔=イラン・イラク戦争〕が終結した後の70年代〔西暦1991年〜〕初頭に始まったものだとの認識を示し、次のように述べた。
戦争によって、イランは約1000億ドルの損害を受けた。これらを補うだけの財源が、われわれにはなかった。そのため『建設』の時代にあった当時、われわれはかつて戦争の相手国だった世界各国〔※〕から支援を受けざるを得なくなった。
〔※イランの直接の交戦国はイラクだったが、当時西側・アラブ諸国はこぞってイラクを支援していた。そのため、イランにとって「強要された戦争」は「世界各国との孤立無援の戦争」として理解されている〕

 サッファール=ハランディー氏はさらに、次のように述べた。
70年〔西暦1991年〕、当時の一部の当局者が欧米諸国を訪問し、同地に住むイラン人らにイラン復興への支援を要請し、我が国への投資を呼びかけた。このことが、国内に亀裂を生む素地を作り上げた。

 同氏は、次のように付け加えた。
こうした人々〔=革命後、海外に逃亡したイラン人〕が〔イスラーム共和国体制下のイランに〕入り込んだこと、そして諸外国から支援を受け取ったことが、国内に亀裂を生んだ。諸外国に住むイラン人たちはこの亀裂のスキを突いて、国内に多くの倫理的・社会的逸脱を持ち込むようになった。

 サッファール=ハランディー氏はハーシェミー=ラフサンジャーニー氏が大統領だった時代〔1989年〜1997年〕のある閣議の思い出に触れ、次のように語った。
ある日、閣議である当局者が、〔海外からやってきた人々の中に〕イランでヘジャーブをかぶろうとしない女性たちがいることに、不満を表明した。これに対して〔ラフサンジャーニー〕大統領は笑みを浮かべて、「好きにさせなさい。イランに投資をしてくれるんだから」などと言っていた。

 同氏はさらに、次のように明かした。
ロンドン発行の王党派の新聞ケイハーン紙〔※サッファール=ハランディー氏が文化イスラーム指導相になる前に編集長を務めていた超強硬派の新聞「ケイハーン」とは別〕が、〔海外に住む〕イラン人が母国に帰国する際は、・ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者の監督論)の原則を廃止すること、・人権を守ること、・私有財産を尊重すること、などの条件を〔イスラーム共和国体制側に〕要求すべきだとする社説を掲載したのも、まさにこうした頃のことであった。〔共産主義政党の〕トゥーデ党も、こうした条件を受け容れるならば、イスラーム共和国を正式なものとして承認する用意があるとの姿勢を示したのも、同じ頃だった。

 サッファール=ハランディー前文化イスラーム指導相は、〔1990年代に政府が〕全国に「ファルハングサラー(文化の館)」と呼ばれる施設を建設する方針を打ち出したり、テヘラン市が「ハムシャフリー紙」を創刊したりしたことに非難の矛先を向け、「一部の人物がパフラヴィー体制時代にあった『青年協会』の代わりとしてファルハングサラー〔の建設〕を〔全国に〕拡大したり、ハムシャフリー紙を創刊したりすることで、〔イランの〕文化に新たな〔逸脱した〕状況を作り出そうと画策した」と指摘、ハムシャフリー紙こそイランにクーデターを起こし、ソフトな戦争を始める素地を作り上げた新聞に他ならないと述べて、次のように語った。
この新聞は、人々のものの考え方を変え、自らの権利を口やかましく要求する〔個人主義的な〕市民へと、彼らを変化させる目的で創刊された新聞だ。このようにして、この新聞は文化の領域でソフトな戦争が始まる端緒となった。
〔※ハムシャフリー紙は1990年代、ラフサンジャーニー派のキャルバースチー氏がテヘラン市長であった時代に創刊された大衆紙。市長の政治的傾向によって、ハムシャフリー紙もその性格を変えており、アフマディーネジャード氏がテヘラン市長になる2003年までは、同紙は改革派系の新聞だった〕

 サッファール=ハランディー氏は、「ホルダード月2日」〔ハータミー氏が最初に大統領に当選した1997年5月23日のこと〕はこうした動きによって作られたものに他ならないとし、「ホルダード月2日にわれわれが目にしたのは、経済、文化、メディアなどの諸潮流が手に手を取って、一つの新たな連合を生み出していった姿だ」と指摘した。

 同氏はまた、ある出版物で「アフマディーネジャード思想」の普及・拡大に関する論考が掲載されていることに言及し、次のように述べた。
この論考では、今日われわれはアフマディーネジャードのためにも、「アフマディーネジャード主義」を定式化する必要がある、良い面も悪い面も合わせて、この思想を普及・拡大させる必要がある、ということが論じられている。論考ではさらに、「緑の宗教」〔=イスラーム教のこと〕を普及・拡大させ、今後それを基礎に前進していく必要があるとも論じられている。

 ケイハーン紙元編集長のサッファール=ハランディー氏はその上で、
今日、ヒズブッラー(神の党)な人々〔※レバノンの政治集団「ヒズブッラー」とは別。イスラーム共和国体制を熱烈に護持する強硬派の人々のことを指す〕は、アフマディーネジャードの周りにいる某氏〔※「イスラエル人は友人」発言で物議を醸したアフマディーネジャードの側近マシャーイー氏のことを指すものと思われる〕の存在を深く憂慮している。アフマディーネジャード主義思想の普及を図るためには、この人物がアフマディーネジャードの周辺からいなくなることが必要だと、彼らは主張している。

と語った。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:18063 )