Hasan Cemal コラム:カンディル・PKKキャンプにて、その3
2011年06月29日付 Milliyet 紙
ムラト・カラユラン(右)と筆者
ムラト・カラユラン(右)と筆者

カラユランからアンカラへのメッセージ:議論すべきことは全て議論された。政府とアポ代表は、あらゆることを話しあった。今こそ、一歩を踏み出すときだ。アポ代表が政府に提出した3つのプロトコールには、これから行われるべき方策の枠組みが示されている。首相に、政府に、国家に、次のことを伝えたい。我々は、「トルコの自由意思にもとづく共存gönüllü birlikteliği」の基礎の上に、平和を築きたいと考えている。

カンディル山麓にむかっている。日は上ったばかりだ。2011年6月25日。我々を山に運ぶトラックの運転手ザグロス氏は、なんでも知っている。「メフメト・アリ・ビランドは手術したっていうじゃないか、どうなんだい?彼はどうしてここにこないんだ?俺は、彼がよくなるようにって、神に祈ったよ」などと、質問をする。
「ハサンさん、連中はハーティブ・ディジュレが当選したら、それを認めなかったが、じゃなぜ、立候補のときに駄目だっていわなかったんだ?」
「ベジャン・マトゥルも、俺がカンディルへ連れて行った。ここにきて、そのあとで本を書いた。俺のことも出てくるよ、本には。俺のアゼリーの妻もPKKのメンバーだって。」
ヘリズから、太陽の陽をあびてきらきら輝く刈り入れの終わった畑の間をとおっていくとき、アフメト・カヤのしゃがれた歌声がひびく。

  俺はひどい目にあった
  君らには何事もないように
  お願いだから!

■政府はアポ代表と全てを話しあった

ザガロス氏の家で休憩する。

庭からとってきたばかりの、いい香りのするきゅうり、トマト、acur、白チーズ、お茶(tavşan kanı çay)の朝ごはんを、床に座って食べたのち、居間の隅の絨毯に横になって一眠りした。

カンディル・キャンプのメディア担当のアフメト・デニズが、ナムクと私をおこした。ムラト・カラユランがあなたたちを待っている、という。2年前と同様、携帯電話をこの家に残して、出かける。しばらくいくと、アスファルトの舗装道路がおわり、未舗装になる。きれいな川をわたったところで、歩きがはじまる。

あるところまでくると、ちょっと緊張した雰囲気がしてきたと思ったら、木の間からムラト・カラユランが現れた。後には指揮官らと一緒に。

ザグロス氏の声が思い出される。
「うまくいくと思うか?和平はできるのか?」
ムラト・カラユランは悲観的ではない。
例の立派な胡桃の樹の陰で「平和」について話すとき、次のようにも語った。

「議論すべきことは全て議論された。政府とアポ代表は、あらゆることを話しあった。今こそ、一歩を踏み出すときだ。」
「だがどのように?」
「アポ代表が一カ月前に政府に提出した3つのプロトコールには、これから行われるべき方策の枠組みが示されている。もともと、この3つのプロトコールは、アポ代表が2009年8月15日に政府に提出したロードマップの要約版だ。つまり、もし、クルド問題解決策の第二陣が行われるなら、枠組みは、もうできている。」

首相に、政府に、国家に、次のことを伝えたい。我々は、「トルコの自由意思にもとづく統一gönüllü birlikteliği」の基礎の上に、平和を築きたいと考えている。

カラユランは、今度はアンカラの番だ、という。
そう考えているのは、カラユランだけではない。たとえば、昨日の朝、ここのセラハッティンで面会したネジルヴァン・バルザーニーも、同じように考えている。

このイラクのクルド自治政府の元首相は、(イラクの)「クルド問題」の担当者でもある。彼も、現時点で最初の一歩はアンカラが踏み出すべきだと考えている。(これについては、別の記事を書くつもりだ。)

■(オジャランが収監されている)イムラル島の条件の改善は必須

私の印象では、タイイプ・エルドアンが選挙キャンペーン中に行った過激な民族主義的発言を、カラユランは深刻には受け止めていない模様だ。「前にもそんなことをいったことがある」とだけいい、選挙の時にはそんなこともある、と指摘する。
会話の間では、オジャランの「イムラル島の条件」をPKKがどれだけ重要なものと考えているかがわかってくる。カラユランは次のようにいう。
「我々の指導者は収監されている。我々の「意志」が監獄のなかだ。イムラル島の条件の改善に関する取り組みは死活問題だ。」

そして、カラユランは、次の真実を強調する。
「我々を山から投降させることのできる唯一の権威がある。それが、アポ代表だ。それを忘れないでほしい。」

■CHPは、この選挙の間に、柔軟なメッセージを発した

しばらくケマル・クルチダルオールについても話した。バイカルが政治の表舞台から消えたことを、前進だとみていると述べる。
「CHPはこの選挙の期間中にクルド問題の解決に関する柔軟なメッセージを発した」とだけいう。

クルチダルオールが、アポと政府の交渉に青信号を示したことと、「解決にむけ、できるだけのことをする」という発言を重視するものの、カラユランはCHPについては慎重な態度をくずさなかった。

■エルゲネコン、イスラム派エルゲネコン、オトゥケン...

昼ごはんは豪勢だった。ケバプ、新鮮な川魚、タンドゥル、ピラフ、カブルガ・ドルマ、肉の煮込み、レバー、ヨーグルトのかかったブドウの葉の巻物・・・。

エルゲネコンや、バルヨズ計画疑惑について話す。
「軍の後見体制」を打ち破るために、これらの裁判を重要視している。軍が、民主主義の枠組みのなかで、あるべき場所に落ち着くことが平和に与えるであろう貢献について、理解している。しかし、この問題についてふれると、2年前もそうだったように、話はフェトフラーチュ(ギュレン教団関係者)に向かう。カラユランは、ギュレン教団が政府内にもつ力は誇張されているという。しかし次のようにもいう。
「KCK捜査は、ひとつのプロジェクトとして、ギュレン教団の警察、司法関係者によって、政府に提案された。政府はこれを実施したのだ。」
そして次のように付け加える。
「ギュレン教団の政府の中での存在は、緑のエルゲネコン、とも呼べる。しかし、最近我々にとどいた情報によると、「緑のエルゲネコン」のかわりに、「オトゥケン」という名の新しい組織の問題が出てくるかもしれない、近いうちに。」

ムラト・カラユランのこうした言葉から、2年前のここで会ったとき同様、PKKはギュレン教団を警戒していることがわかる。

理由ははっきりしている。
フェトフラーチュたちは、AKPと一緒になって、PKKの基盤をとりくずそうとしている。カラユランは少なくともそう考えている。

■「共存」を基礎に、平和を造ることを望んでいる

カラユランは、こうした話のあとで再び和平について語った。
「首相に、政府に、国家に、あなたを通じて次のことを伝えてもらいたい。我々は、「トルコの自由意思にもとづく共存gönüllü birlikteliği」の基礎の上に、平和を築きたいと考えている。」

■停戦のあとには、革命主義的市民戦争

ムラト・カラユランに質問する。
「トルコの前に、あなたの表現を借りれば「民主的憲法解決プロセス」、あるいは「和平プロセス」が開かれないとしたら、何が起こるのか?」

答は簡単だ。
「革命主義的市民戦争だ。」
つづけて、
「これを脅迫だと思わないでもらいたい。クルド民衆は、選挙で、民主的憲法のために、民主自治区のために、票を投じた。しかし、それに対して何のリアクションもなかったとしたら、あるいは、その反対に攻撃がはじまったら、抵抗する以外に何ができるというのか。」
こうした停戦の終了について、次のように説明する。

「これで停戦は終わる。もし、こうした終わりがきたら、革命主義的市民戦争がはじまる。これは、これまでよりも大規模なものとなる。町での大衆的な行動と、山でのゲリラ活動と。」

その一方で、カラユランは、ある種の「目標の変更」、ありは、「概念の変更」について言及する。

「もしも攻撃をうけなければ、我々の攻撃も国の軍には向かわない。なにより、軍を対象とはしない。軍は国境を守るものだ。もし民主的自治区が実現したなら、だれが攻撃したかによって、こちらの目標もかわってくる。警察なら警察だ。たとえばハッキャーリが自治区となったなら、そして警察がそこで攻撃をしかけてきたら、我々は自衛をすることになる。民主的自治区の組織もあり、民衆議会もある。誰かがそれと評的にして攻撃したら、その仕返しはうけてもらう。つまり、コンセプトは変わったのだ、行動の目標に関し・・・。」

続く。

**************

その1
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20110628_060401.html

その2
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20110629_063810.html

その4
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20110704_163105.html

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:23129 )