マーレク・リーギー、逮捕
2010年02月24日付 Jam-e Jam 紙


【政治部】アメリカなどの支援を受けて、過去4年の間に数々のテロ行為をイラン南東部で成功させてきた若きテロリスト、アブドルマーレク・リーギーが、イラン・イスラーム共和国情報省各部隊による5ヶ月間に及ぶ諜報活動の末、逮捕された。

 リーギー逮捕の報は昨日、国内メディア、そして多くの海外メディアでもトップ・ニュースとして報じられ、我が国の人民からは歓喜の声が続々と沸き起こった。

 30歳のテロリスト逮捕の詳細を他に先駆けていち早く伝えたのは、衛星放送局プレスTVであった。同局は、アブドルマーレク・リーギーが空路でキルギスに向かっていたところを逮捕されたと報じた。その後の複数の報道によると、リーギーを乗せたドバイ発の旅客機はイラン・イスラーム共和国の領空に入るや、〔軍による〕エスコートを受け、〔イラン領内の空港に〕着陸、情報省の部隊によってリーギーと彼の率いるテロ・グループのメンバー3名がイラン領内で逮捕されたという。その後、この旅客機は通常のフライトを続けたとのことだ。

〔中略〕

情報相、リーギー逮捕の詳細について説明

 イラン・イスラーム共和国による諜報・治安活動の大手柄とも言えるリーギー逮捕から数時間後、ヘイダル・モスレヒー情報相は記者団の前に姿を現し、このテロリストの逮捕へ向けたこれまでの経緯について説明した。

 中央情報局が伝えたところによると、モスレヒー情報相はこの記者会見で、「時のイマームの無名戦士たち」〔=情報相の諜報員のこと〕が同テロリスト逮捕に向けて行ってきた諜報活動について触れた上で、次のように述べた。「今回の諜報活動は約5ヶ月間にわたるものであった。情報省の各部隊はシューシュタリー司令官とその仲間たちの殉教の後、同テロリストの逮捕へ向けた諜報活動を開始、首尾良く成功を収めた」。

 同相は、アブドルマーレク・リーギーの一部の活動がアメリカやイギリスといった国々、さらにはシオニスト体制の諜報機関の協力の下行われていたことを指摘した上で、「このテロリストは2008年6月から7月にかけて、ジブラルタル海峡を渡って欧州の某国に渡航、そこでイランで破壊活動をするようこの男に要請がなされた」と説明した。

 モスレヒー情報相は、この渡航はアメリカの協力の下、イギリスによってアレンジされたものだったと強調、「この件については、その他の注目すべき証拠も存在する。このことについては後の機会に、国民に提示することになろう」と続けた。

〔中略〕

米英の諜報機関はテロ支援をやめよ

 情報相はまた、アブドルマーレク・リーギーが逮捕の24時間前にアフガニスタンの米軍基地にいたところを撮影した写真を示し、さらにアメリカによって提供された同テロリストの身分証明書ならびにパスポートを見せた上で、「われわれは米英ならびに覇権体制の諜報機関に警告する。テロリストへの支援はやめよ」と語った。

 同相は米英、ならびに一部の欧州諸国がアブドルマーレク・リーギーを支援していたことは、情報省が得た確たる証拠によって完全に明らかとなっていると強調した上で、「アブドルマーレク・リーギーを支援した米英、ならびにその他の国々に対して、国際機関の場で法的追及を行う権利が、イランにはあるものと考えている」と述べた。

 モスレヒー情報相は、「〔中東〕地域の某諜報機関の発表によれば、リーギーはEUに加盟している一部の国々と通じており、これらの一部の国々に渡航したことがあるという」とも述べた。

 同相はさらに、リーギーが2008年の4月に、アフガニスタンに駐留しているNATO軍の司令官と面会した事実を指摘した上で、「この司令官はリーギーとの面会のなかで、『大バルーチェスターン』構想に大いに関心を示した」と明かし、「その他の情報が示すところによれば、アメリカはサルバーズ山〔?〕にあるアル・カーイダのキャンプをアブドルマーレク・リーギーに示し、イラン当局に対する一連の作戦を〔ここから〕行うよう求めたという」と続けた。

〔中略〕

過去4年間のリーギーの犯罪行為

1384年デイ月〔2005年12月〕:リーギーは初めて、1384年デイ月7日〔2005年12月28日〕、自らのテロ集団のメンバーらとともに、イランの国境警備兵9名を人質に取り、事件への関与をアル・アラビーヤ放送を通じて発表、テロ活動を開始した。

1384年エスファンド月〔2006年3月〕:1384年エスファンド月25日〔2006年3月16日〕、ザーボル=ザーヘダーン街道タースーキー地区で22名を殺害、これが同集団が関与を認めたテロ行為の2例目となった。

1385年オルディーベヘシュト月〔2006年5月〕:その後、リーギーのテロ集団は1385年オルディーベヘシュト月23日〔2006年5月13日〕、バム=ケルマーン幹線ダールズィーン地区で道路を封鎖し、通行していた車両の乗員ら34名を殺害、その他多数を負傷させ、あるいは人質に取った。

1385年バフマン月〔2007年2月〕:この集団は1385年バフマン月13日〔2007年2月2日〕にも、ザーヘダーン県ボゾルグメフル通りをパトロールしていた治安維持軍の隊員4名に銃弾を浴びせ、殺害した。さらにリーギー率いるテロ集団は同25日〔2月14日〕、革命防衛隊員らを乗せたバスをザーヘダーンで爆破、革命防衛隊地上部隊の隊員ら13名が殉教、30名が負傷した。

87年ホルダード月〔2008年6月〕:1387年ホルダード月23日〔2008年6月12日〕、サラーヴァーンにある駐屯地で、このテロ集団によるテロ行為が発生した。その結果、イスラーム共和国治安維持軍所属の関係者や兵士ら16名が人質に取られ、うち15名が殉教した。

1388年ホルダード月〔2009年5月〕:今年のホルダード月7日〔2009年5月28日〕、ザーヘダーンのアリー・イブン・アビー・ターレブ・モスクで発生した自爆テロは、リーギーのグループが起こしたテロ行為の中でも、最も激しいものだった。このテロで、〔預言者ムハンマドの娘で初代アリーの妻である〕ファーティマ・ザフラー閣下の死を悼む儀式に参加していた礼拝者・追悼者ら、少なくとも40名が殉教した。

88年メフル月〔10月〕:リーギー率いる集団の最後のテロ行為が、今年メフル月26日〔2009年10月18日〕にスィースターン・バルーチェスターンで起きたテロ行為である。国境の町ピーシーンで起きたこのテロで、同州の部族長らとともに、東部駐屯所のヌール・アリー・シューシュタリー司令官やイスラーム革命防衛隊地上部隊の副司令官ら42名が殉教した。

 リーギーは過去4年間の自らの犯罪行為において、スウェーデン・ストックホルムから発信されているラジオ「バルーチの声」、「ヴォイス・オブ・アメリカ」、サウジアラビアの「アル・アラビーヤ」などを自らの宣伝装置として利用し、テロ行為のたびに、自らの関与を認める声明を出してきた。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:18587 )