モンタゼリー行政公正院院長「アメリカ大使館はどの国にあってもスパイの巣窟」
2013年11月05日付 Mardomsalari 紙

 行政公正院のモンタゼリー院長は、「今や西洋世界も、アメリカ大使館は〔世界の〕あらゆる国でスパイの巣窟となっていることを理解し、認めるようになった。まさにイラン国民こそが、アメリカ大使館にこの名を付けたのである」と述べた。

 イラン学生通信の報道によると、モハンマド・ジャアファル・モンタゼリー師は行政公正院一般委員会の会合で、第三代イマーム・ホセインを悼むムハッラム月の日々が到来したことに哀悼の意を述べた上で、「アーバーン月13日の出来事〔=1979年11月4日の米大使館占拠事件〕は、不正義と抑圧、そして偽善を憎む心から生まれたものであり、それはアーシューラーの出来事から得られた教訓が生んだものなのである」と指摘した。

 同師は、学生らの殉教、イマーム・ホメイニーの国外追放、そして1358年〔=1979年〕に起きた、イマームの路線を信奉する大学生らによるアメリカ大使館の占拠という三つの歴史的事件について触れ、「〔当時〕イランではイスラーム革命から1年が経ち〔※正確には約9ヵ月〕、アメリカは依然として我が国に対する陰謀を継続させていた。そうした中、一群のムスリム大学生らが陰謀の中心地であったアメリカ大使館を占拠したのである」と述べた。

 同師はその上で、「イマーム・ホメイニーはご自身の植民地主義に対する認識をもとに、学生らが起こした行動への承認として、それを第二の革命、第一の革命よりも大きな革命と名付けられたのである」と続けた。

 同師はさらに、この日を正確に「神の日アーバーン月13日」と捉えることが必要だと指摘した上で、「この日が《スパイの巣窟が占拠された日》と名付けられたのは正しいことだった。なぜなら当時、スパイの巣窟という言葉の意味についてよく理解できなかった人もいたかもしれないが、事件から33年〔※正しくは34年〕が経った今、ヨーロッパにいるアメリカの友人たちですら、この国の大使館が世界中でスパイの巣窟であることを理解するようになったからだ」と言明した。

 行政公正院院長は、アメリカ大使館で発見された一部の証拠資料で明らかとなった、イスラーム革命の過程ならびにその後に対するアメリカの干渉について説明し、「イラン国民は過去60年間、常にアメリカの覇権主義的な政策に傷つけられ、ダメージを負わされてきた。このような国民がどうして、《アメリカに死を》のスローガンを止めることができようか」と続けた。

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( 翻訳者:白糸台国際問題研究所 )
( 記事ID:31968 )